ボストン美術館浮世絵名品展

knockeye2010-08-14

神戸市立博物館で、ボストン美術館浮世絵名品展の、今日が初日ということで、両親と出かけた。
鳥居清長、喜多川歌麿東洲斎写楽、が展示のほとんどだった。
わたくし最近、浮世絵の展覧会にいくときは、鈴木春信にでくわすのを楽しみにしている。今回はなかった。
春信の絵は、線そのものが、絵に描かれた男女とは別の生き物のようにのたくっている。
上の三人では歌麿がいちばん近いが、歌麿の方が洗練されて完成度が高いかわりに、春信の匂いたつあぶない感じは後退しているように感じる。
今回の展覧会の歌麿には、鈴木春信へのオマージュもあった。歌麿は春信を意識していたのではないかなぁと思う。
鳥居清長の九頭身美人は、初めて観たとき、その優美さに心奪われたものだ。
清長の九頭身は、画面全体を構想するときに、あのプロポーションしかありえないんだと思う。
たとえばこれ。

月下の川面をわたってくる夜風と、障子の桟の手ぬぐいのにおいまで感じさせる。
でも、見方を換えれば、人物が理想化され、意匠化されているともいえるわけで、そのウソは、ホントより価値が低いというわけではないけれど、同じウソでも春信のウソは、ホントを超えていく力が強い気がする。
もちろん清長のこの絵だって、モデルの真実を越えて生き続けているのだけれど、ただ、狂気とまではいえないという、言いたいのはそういうちょっとしたことにすぎない。
鳥居清長が、アルフォンス・ミュシャだとすれば、アンリ・トゥールーズロートレックは、東洲斎写楽
写楽の線は、的確にモデルの個性をなぞる。
線が一本あれば、どんな個性も描き分けることができることに、一片の疑いも抱いていない天才の線だ。

この鼻をみると、写楽がヨーロッパに与えた衝撃がよく分かると思う。