諸国畸人伝

板橋区立美術館で「諸国畸人伝」と題して、江戸時代のユニークな絵師十人を集めた展覧会がやっている。
「絵師10人 驚愕の不協和音」のサブタイトル。
その10人とは
菅井梅関、林十江、佐竹蓬平、加藤信清、狩野一信、白隠曾我蕭白、祗園井特、中村芳中、絵金。
私が見たことのあるのは、白隠禅師と曽我蕭白だけだが、今回は特に絵金が見たくてでかけた。土佐の外で絵金が見られるのはめずらしいと思うので。
絵金は、ああいうおどろおどろしいものが、屏風である迫力が圧倒的だろろう。
歌川国芳月岡芳年が、あるいは北斎でも、彼らの絵のどれか一枚でも屏風の大きさに描いていれば、どうだったろうか?
彼らにはきっと屏風に描くという発想自体がなかったろうと思うが、惜しい気がする。
小布施にいくと、北斎の巨大な天井画があるから、北斎に大画面を描く技術がなかったということはないはず。
京や江戸から離れていたことと、もともと狩野派の絵師だったことが相俟って、屏風と浮世絵の奇跡の出会いが絵金だけに可能だったことは、いま考えてみると不思議な気がする。

菅井梅関という人は、仙台の船上で知人たちと「龍を見た」と証言している。
おそらく竜巻だったのではないかといわれているが、龍を見てしまうことに、私はこの人の宿命を感じる。
見えない何かにおびえているような虎の絵が目を惹いた。むしろ中島敦の「山月記」のような、宿業みたいなものを感じさせるそんな虎の姿。最期は井戸に身を投げて自死したそうだ。

佐竹蓬平は、芥川龍之介が最期の枕元に飾っていたそうだが、どちらかというと、日本画における‘ナイーブ派’とでもいうような、おおらかで自然な感じがした。

むしろ、林十江の水墨画‘木の葉天狗’のほうが、芥川に河童のインスピレーションを与えそうと誰もが思うだろう。

加藤信清は、いまならアールブリュットに分類されるのではないか。経文の文字で画面を埋め尽くして仏画を描く、今で言う‘アスキーアート’。線だけでなく色面まですべて経文。絵画と信仰が結びついているのは、近代以前にはむしろ当然だった。ピカソの絵を、キリスト教以前の呪術的な信仰の復活と見る人もいる。

狩野一信は、今回一点しかない曾我蕭白を目当てに来た人なら、一目で気に入るのではないか。極彩色の奇想に生命感が横溢している。

祇園井特は、今回はじめて観たのだけれど、京都という町のふところの深さを、あらためて思い知らされた。美人画なんだけれども、そのインパクトは、後にふれるけれど、同じ京都の甲斐庄楠音を連想させる。甲斐庄楠音は、近代の画壇にたたかれて画業を廃するのだけれど、江戸時代の祇園井特のほうは、ちゃんと受け入れられている。
面白い逸話としては、絵師に肖像を描かせることを嫌っていた本居宣長が、ただひとり祇園井特にだけ肖像画を描かせている。今回出展されていなかったが、ライブラリーの画集でその絵を見た。祇園井特のその絵は名画だと思ったが、本居宣長っていう人はやっぱり変人だという確信も深まった。

中村芳中は、センスのよさという意味ではピカイチではないかと思う。「白梅図」「老松図」「登城図」、どれも構図がユニークで楽しい。私は「老松図」の青色がとくに気に入ったけれど、「登城図」のちょんまげも捨てがたい。

そして絵金は、繰り返しになるけれど、土佐の外で観られることはあまりないと思うので、見ておくに如くはなし。

板橋区立美術館は、しかし、ちょっと不便なところにあって、いつもは成増で下りるのを、今日は赤塚で下りてみた。でも、そのくらい歩くのは苦にならない季節になった。秋晴れといっていい空なんだろうと思う。