大阪地検特捜部主任検事逮捕

11日に、鈴木宗男の収監のタイミングは、村木厚子の無罪判決と関係しているだろうと書いた。
あてずっぽだったけど、あの時すでに、司法関係者には、今日の‘前田恒彦の逮捕’が見込まれていただろうから、鈴木宗男を国会から間引いておくことは、大阪地検の焚き火が東京地検に飛び火しないための火の用心だったというのは、もう間違いないだろう。
60年代なら間違いなく火炎瓶もの。
司法がどうして‘取調べの可視化’に抵抗するのかだけはよく分かった。とうてい一般市民に見せられる捜査ではない。恥ずかしくて見せられないのだろう、有罪率99.99%のこの内幕は。
このブログは、べつに冤罪ウォッチをしているわけでもなんでもないのに、さまざまな冤罪のにおいが、いつの間にか漂ってきて、くさくて仕方がないからパタパタしてるだけのこと。
小は(といっては失礼だが、第三者にとっての影響という意味で)、メッセンジャー黒田の、被害者が事件以前に骨折していたというようなことから、大は、政権交代を危うくしかけた、大久保隆規西松建設事件まで。
他に、今思いつくまま羅列しても、鈴木宗男佐藤優ホリエモン中田カウス辻元清美土井たか子の事件もあやしい。それに、大阪地検がらみではもちろん三井環の事件を真っ先にあげなければならないだろう。
西松建設事件のときにも書いたけれど、そもそも地検特捜部という存在が法的な整合性があるものなのか、戦後ずっと検察は公判専従であるべきで、捜査権を持つべきではないという議論はあり続けている。
法的な根拠があいまいな組織を、惰性で野放しにしておけば、このような暴走を生むのは当然だ。しかし、マスコミは、捜査の全面可視化にすら及び腰だ。
本来、報道機関であるマスコミが、捜査の可視化に消極的なのは、奇妙なことだが、見えてしまうと困る事情というのは、たとえば、今、かなりアクセスが集中しているらしい上杉隆
民主党情報暗黒時代の幕開けか、代表選「フリー記者ネット生中継禁止令」の真相

などを読めば容易に想像が出来る。
捜査が可視化されれば、マスコミは自分たちの既得権を失うと危惧しているのだろう。
テレビや大新聞は、報道機関であるより、検察の広報機関であるほうが居心地がいいというこの状況では、公判専従論はもちろん、捜査の全面可視化でさえ、長袖を着るころには、たぶん、どこかへ消えてなくなってるだろう。