高みの見物の大衆迎合

しかし、先日引用した、大前研一
「高みの見物の大衆迎合
という言葉なんだけど、あれからときどき思い出して笑っている。
キャッチーじゃないので、流行語とかにはならないだろうけど、表現として正確なので、いろんな方向から眺めまわすと味わいが深くなる。
考えてみれば、マスコミの意識は‘高みの見物’だから、‘大衆迎合’できるのだし、‘大衆迎合’になってしまうのは、‘高みの見物’していたいからなのだ。
飼い犬とその飼い主が原っぱに立っている。
飼い主が、「格差社会」と書いた棒ッきれを遠くに投げる。飼い犬はしっぽを振って駆けていって、それを口にくわえて帰ってくる。
‘ヨシヨシヨシ’
っつうわけ。
今度は「政治とカネ」と書いた棒ッきれを放る。また飼い犬が一目散に駆けていく。
日本のマスコミと大衆の関係はまあこういうイメージだ。
私は犬を飼わないからわからないが、飼い主も飼い犬もあれでそれなりに楽しいのだろう。
実際ずいぶん楽しいそうだったじゃないか、「格差社会」、「格差社会」と吠えまくってたときは。