ドガ

ドガの本名は、‘イレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガス’だそうだ。
以前、‘水曜どうでしょう’で酔っ払った大泉洋が、ホテルの部屋に飾ってある絵のサインを読んで「デガス、デガス」と連呼して意味もなく笑っていた。
テレビの前で
ドガだろ、それは・・・’
と突っ込んでいたが、案外そう間違ってもなかったわけだ。
横浜美術館なので、開館前の行列にならんだ。おかげで、日本初公開という
<エトワール>
をゆっくりと鑑賞できた。

あの淡い色調はパステルだそうだ。
目を患ったこともあって、晩年にかけて選んだパステルという画材は、ドガにとてもあっていたように思う。
微妙な室内光をとらえるのに申し分ないし、それにデッサンの確かさが存分に発揮できる。
若いころ、アングルにいわれたという
「とにかく線を描け」
という言葉が、その後の画家人生の支えとなったというが、この<エトワール>でも、踊りの一瞬をとらえるのに、重心がまったくぶれていない。
ドガがバレエをモチーフに選んだのも、このデッサンへの信仰があってこそではないかと思った。
馬、バレエ、浴婦。モチーフに共通しているのは、動く肉体の美しさだろう。
表現方法も多彩で、油絵、パステルに加えて、今回の展示で目をひいたのは、写真と塑像作品。
目の病が進行して、晩年はほとんど視力を失っただろうといわれているが、死後のアトリエから、蝋で作られた多数の立体作品が発見され、のちに鋳造されている。視力が失われる中で塑像を作り続けていたのだろうか。
<放たれた馬>などの馬の躍動感もすばらしいし、さまざまなポーズの踊り子の、脚をあげたふくらはぎから足首のみずみずしさに見とれてしまった。特に<スパニッシュダンス>。
立体作品で生前に発表されたのは、印象派展にも出品した<14歳のちいさな踊り子>だけだそうだ。
しかも、出展当時は、蝋製のものに着色してカツラをつけていたというから、いま私たちが目にするものよりかなり生々しかっただろうと思う。
ドガは、他の印象派の画家たちのように、戸外にイーゼルを立てて絵を描くということをしなかった。すべてをアトリエで再構築する。
そのことの意味は、この発表されなかった塑像たちを見ていると、かなり業の深いものだったのではないか、と考えさせられた。
浴婦のシリーズの<身体を拭く裸婦>は、まったく同じポーズ(かなりムリな姿勢)の写真がアトリエから見つかっている。
まず、モデルにポーズをつけて写真に撮り、それをさらに絵に仕上げていた。
<浴盤(湯浴みする女)>
というパステルもすばらしかったが、これら浴婦はすべて後姿であるか、屈みこんでいて顔が見えない。
マネとおなじく、ドガの裸婦も不道徳だと非難されたが、
「鍵穴のむこうに、実際これがあるというまでのこと」
正確な言葉は忘れたけれど、そんなふうにいって反論していたそうだ。
ドガが後姿の裸婦を好むのも、バレリーナの一瞬の動きをとらえようとするのも、モデルに不自然なほどムリな姿勢をとらせるのも、対象を捉えたいという深い業なのだと思う。
ピカソドガの影響を強く受けていることを隠そうともしていない。
対象に迫ろうとするこの思いの強さで、二人の画家は強く共鳴しあっていると思った。
デッサンの天才も共通している。この二人にとっては、見たものを見たままに描くことくらいは何でもないのだ。だからこそ、それだけでは対象をとらえられない無力感もつよかった。
ドガの行った道を更に突き進んでいけば、確かにピカソにならざるえない。
ピカソは、絵に興味がない人たちの思い込みとはちがい、実は、抽象画をほとんど描いていず、画業のほとんどが具象画である。対象に肉迫することが、ピカソの興味の中心だった。
ドガは気難しい人だったというが、そうだろうと思う。
アトリエにひとり、光を失いつつある目をこらして、蝋の塑像に向かうドガの姿を思い描いて、寡黙な画家の業の深さが思い知らされる気がした。