小林信彦の「本音を申せば」

何度も繰り返して書いてきたとおり、私が週刊文春を購読するのは、小林信彦のエッセーを読むため。
それにしては(と我ながら思うが)、このブログで、ずいぶんと反論めいた感想を書き付けていたりする。
特に、政治的な話題については、ほとんど考えがま逆だし、それについての氏の文章は、扱う題材に対して、論理に感情が勝ちすぎるのではないかと思っている。
それでも、私は毎週、小林信彦のエッセーを読む。
特になぜだろうと思ったこともなかった。
今週は、‘気になる日本語 3’という副題で、‘悩ましい’という言葉の誤用について。

 ところで、ぼくはもう一つの方の<悩ましい>を、まだ認めることができない。辞書が流行語としての<悩ましい>を認めても、ぼくは認めない。
 もっとも、<消費税>や<イラク情勢>はあまり小説にはでてこない。ノンフィクションで、<悩ましい>と表現するなら、あ、そうですか、と軽く読みとばすが、これが、小説だったら認めるわけにいかない。その一語で小説はダメになる。小説とはそういうものである

結局、こういう人の文章だから、お金を払って読んでるんだなと納得。
この文章一つだけでも、ネットに溢れている、正論めいた戯言なんかすべて消し飛んでしまう。
少なくとも、私にとっては、文章をよむということはこういうことなんだなと腑に落ちる。