三井記念美術館で円山応挙展。昨日から。
途中展示替えがある。
今、展示されている<雪梅図>は、ふだんどことかのお寺にあって非公開だそうなので、見ておくに如くはなし。
一説には、応挙はこの絵を、弟子の長澤芦雪に託して届けさせたという。
芦雪は、ときには応挙を超えると思える線を引く。
応挙と芦雪は師弟でありながら、お互いに刺激しあう関係ではなかったかと思う。
‘芦雪に託した’という伝説は、その絵が応挙の自信作だったという意味に聞こえる。
墨一色で描き上げたこの雪の中の梅の花は、たしかに応挙の墨の使い手ぶりを伝える。
十六面の襖からなる<松に孔雀図>の壮大な画面には圧倒されるが、一方で、応挙は、大きな画面のものは、離れて見た時の効果を最優先すべきだと考えていたそうで、長谷川等伯の<松林図屏風>に見られるような、筆の速さみたいなものは感じられない。
今回展示されているように、眼鏡絵の絵師として画業をスタートさせた応挙にとって、絵はまずなによりも‘見せるもの’だったと推測する。絵全体の効果に線の個性が突出することを好まなかったのかもしれない。
小品の<富士図>などでは、応挙も存分に筆を遊ばせている。
<雪松図>は、三井記念美術館の所蔵。
京都で最初に魅了されたときから、いささかも変わらない、凛としたその美しさを前にして、心のどこかから苦みのまじった思いが湧いてくる。とても正視できないような、愧じいりたいような気持ち。
後回しにしておいた初期の眼鏡絵の展示にいったん戻って、もう一度<雪松図>の部屋に来た。
ぼかした金を背景に、一夜の雪を積もらせた、右隻の老松と左隻の若松が、光を浴びてそこにあった。