ひさしぶりに、大はずれの映画を見てしまって、そのまま帰るのが後味の悪いこともあり、近くの畠山記念館に、古田織部の愛蔵した、割高台の高麗茶碗を訪ねた。
畠山記念館の庭は、楓の古木がみごとで、紅葉のころはいいかもしれない。
障子越しの秋の木漏れ日が、黄瀬戸の茶碗を温めている。
展示物の中の、日野という銘の、唐物肩付茶入が目を引いた。
この小さな渋柿ほどの茶入が、戦国時代には、一国一城に匹敵するといわれていたそうだ。
たぶん、もっと別なときにそれを聞いたなら、こんなものと自分の領国を引き換えにするなんて、戦国武将とはなんと傲慢だったのだろうと思ったかしれないが、実際の茶入を前にしてその言葉を思うと、戦国武将にとって、国や政治が、いかに心もとない、あやふやなものであったろうかと思いやられた。
掌にすっぽり納まって、やがて温もりを返してくる陶器の肌に、武将たちが覚えたろう安らぎを思った。