『江戸の想像力』

 電子書籍は普及するのだろうか?
 まだよくわからないけれど、ただ、いつのまにか、雑誌以外の本を買うのはネット通販にかぎるようになっている。
 よく、ネットの書店は、現実の本屋さんと比べて、本との偶然の出合いがないとかいわれるけど、個人的な経験からすると、そうでもないみたいで、今日読み終えたこの『江戸の想像力』が、世に出たのは1986年、文庫化されたのでさえ1992年、それからもう八回も刷を重ねている。
 めぐり会いは突然に、という感じ。
 本との出会いにはけっこう恵まれているかもしれない。すくなくとも、異性遍歴にくらべれば、読書遍歴の方がはるかに豊かにはちがいない。
 そういう傑作なので、内容とは関係ないことをとりとめなく書くのだけれど、この表紙の傘を広げて飛んでる女の子は、鈴木春信の絵なのである。
 この本にたどり着いたのも、実は、春信のつてをたよってのこと。
 鈴木春信の絵は、見れば見るほどどんどん好きになってくる。
 この本には、鈴木春信、田沼意次上田秋成と、最近、惹きつけられている人たちが活躍しているのも楽しかった。
 田沼意次と平賀源内の関係もなぞめいていて興味が尽きない。田沼意次というひとは、どこまで国際的視野を持っていた人なのか、想像をかきたてられる。
 源内の書いた『風流志道軒伝』の主人公は、世界を遍歴してまわるのだけれど、中国で富士山の自慢をしたあげく、人造の富士山を作る羽目になる。
 まず、紙の張りぼてで富士山のモックアップを作ろうと、職人百人を集めて日本を出るが、途中で難破してしまい、たどり着いたのがアマゾネスみたいな女だけの島で、いろいろあって、全員で春をひさぐことになってしまう。
 富士山の張りぼてというイメージがもう最高なんだけど、それを作りに意気揚々と乗り出した男たちが、男のおいらんになっちゃうなんて、理屈ぬきでおかしい。
 この主人公が遍歴する奇妙な国々は、しかし、当時の人たちに信じられていた常識でもあったらしい。
 引用。

 さて、ここでもうひとつ問題になるのは、リッチ系地図とその通俗化、マス化に見られるように、ひとつの知がある時点で完結し(完結するはずがないのだが完結し)、一般化して動かなくなるケースと、白石や甫周に見られるように、あることについての知が、変化し続けるために永遠に完結せず、一般化してゆかないケースがある、ということだ。

 だから・・・、という風にはこの著者の文章は、結論には向かわない。むしろ読み進めば読み進むほど、多面的で重層的になっていく。
 いいかえれば、どんどん分からなくなっていく。
 しかし、どうだろう。わかることがすべてという人には、本ではなく、家電の説明書を読むことを、私はおすすめする。