「固有の領土」という言葉あそび

 ‘マスコミがいうところの’という限定付きだけれど、最近の、いわゆる「世論」というやつを聞いていると、中国はキライ、韓国もキライ、ロシアもキライ、「みんなキライっ!」と、ベッドに突っ伏して泣き出しかねない状況に聞こえる。
 しかしながら、私の知る限り、日本の一般的な社会人が、そこまでアホであるとはとうてい思えない。マスコミの報道する、これらの「世論」は、日本の一般市民の実情ではなく、むしろ、日本のマスコミの末期的状況を、浮き彫りにしているのだろうと思う。
 いわゆる「格差社会」が、高度経済成長の終焉という、社会構造の変化を理解できない妄想にすぎなかったように、今、マスコミが垂れ流している、ヒステリックな対外反応は、彼らが、東西冷戦構造を前提とした思考法しか持ち合わせないがためのパニックだと考えておけばよいだろう。
 厳戒態勢下、広州で行われたサッカーの日中戦のテレビニュースで、ある中国人サポーターのインタビューを観た。
 彼は、反日デモについて
「行為が逸脱しない限り、自分の意見を表明することは正しいことだ」
と言っていた。
 わたしたちが、迷彩服を着て街宣車を乗り回している連中を、日本人の典型だと思われると迷惑なように、スーパーの窓に石を投げているのが中国人だと思われるのは、彼らにとっても心外だろう。
 だからといって、多くの中国人が、日本に友好的な感情を持っていると考えるほど、私も脳天気ではない。
 ただ、中国のことだけではなく、ほかの多くのこうした問題の根本にあるのは、戦後ずっと、日本人自身によって戦争についての総決算をしてこなかった、そのツケがあることは忘れるべきではないと思う。
 こんなちょっと堅い話から書き始めたのは、今朝の神奈川新聞に、いろんな意味でおもしろい記事が載っていたから。
 「2島返還方針も撤回と報道 56年宣言で日本と交渉せず」
という、ロシア関連の記事なのだけれど、かなり、複層的な構造になっていておもしろいので読んでみてはいかがでしょう。
 鈴木宗男のような、ロシアとのパイプ役を失ってしまっているわけだから、こういう報道から、メッセージを読み解くべきだと私は思うんですよね。
 まず、最初の文章は、ロシアの有力紙コメルサントが、ロシアの消息筋からの伝聞を報道したと書いている。
 その内容は
「ロシアは1956年の日ソ共同宣言に基づき、平和条約締結後の歯舞、色丹の2島引き渡しに応じるつもりだったが、今後は方針を変更し、同宣言に基づいて日本と交渉することはない」
ということだ。
 その同じニュースソースは、最終的に残る2島も返還させるという構想を日本が抱いているなら、それは「アニメ的幻想」だとも伝えている。
 また、ガスプロムの社長が来日を中止し、日本側と調印がされなかったウラジオストックのLNGプラント建設の件についても、ガスプロムが、韓国を選ぶ可能性を指摘している。
 日本にとっては、挑発的とも刺激的ともとれるのだけれど、でも、少なくとも、直近までは2島返還が既成の事実だったように報道している。
 そして、最後の章で、ロシア経済紙ベドモスチの、
「ロシアは極東の開発で隣国の協力を必要としており、経済的理由や外交バランス上、中国より日本をパートナーに選ぶ方が望ましい」
「まず日本に2島を返還し、領土問題の解決を図るべきだ」
という論説を引用して記事を結んでいる。
 また、メドベージェフは、エイペックでの菅直人との会談で、
「解決できない論争より経済協力の方が有益だ」
と伝えたそうだ。これは、メドベージェフ自身がツイッターに書き込んだそうだから間違いない。
 このメドベージェフの発言の裏には、以前にも書いたが、麻生政権の大失態がある。
 菅直人は、メドベージェフとの会談で、「固有の領土」という言葉を使わなかったと報道されているので、私は管政権に少しだけ期待を抱いている。
 「固有の領土」という、よく考えれば内容ゼロのお題目は、それこそ、米ソ冷戦構造が生み出した、迷信の呪文にすぎない。
 「固有の領土」という概念自体が、国際社会で通用するかどうかが怪しいものだけれど、その議論はひとまずおくとしても、戦後65年間、実効支配どころか、あの島々には、じっさいにロシア人が生活している。
 にもかかわらず、橋本龍太郎との会談で、
「ロシアと日本には領土問題が存在する」
と明言したことは、ロシア側の、この問題の解決に向けた姿勢が前向きだったことを示している。
 ところが、その後、鈴木宗男の失脚(これについては、ほとんど外務省の謀略だったのだろうと思う。佐藤優は、外務省幹部から「鈴木宗男攻撃に加われ。そうすれば君も生き残れる」と誘われたことを、著書で証言している。)などのごたごたがあり、挙げ句に、麻生政権が「北方領土は歴史的には日本の領土だ」という宣言を国会で採択してしまった。
 実効支配しているロシアが、首脳同士の会談で、領土問題が「ある」と明言したのに、実効支配していない日本が、領土問題は「ない」と宣言してどうなるの?(しかも一方的に)。怒ってあたりまえだし、「解決不可能」と匙を投げられても仕方がないことだと思う。
 戦後、日本人は、「敗戦」を「終戦」と言い換え、広島や長崎の被害を声高に唱える一方で、中国やアジア各地で自分たちがやった残虐行為には、耳をふさぎ、目を背けて生きてきた。 
 そんなことが許されたのは、東西冷戦構造の地政学的な力学と、無人の野をいく高度経済成長があったからにすぎない。
 その両方が消え去った今になってみれば、「固有の領土」なんて言葉は、じつは、「終戦」という言葉遊びと何ら変わらないことに、いやでも気づかされざるえない。
 事実をありのまま言えば、日本は戦争に負けて、領土を取られたというだけのことだ。「取られた」という事実を認めたくないから、「固有の領土」などという言葉を発明しただけなのだ。北方領土問題の解決のチャンスも、今まで何度かあったと思うのだけれど、そのたびにこの「固有の領土」という言葉が邪魔してきたような気がしてならない。
 そしてその呪文さえ唱えていれば、国民が納得するのだから、政治家も官僚も本気で努力はしなかった。
 むかし、北海道をツーリングしていると、「返せ!北方領土」という看板がいっぱい建っていたものだった。「だれにいうてんねん」とつっこんでたものだけれど、今考えれば、あれはただのお題目で、誰に向けたメッセージでもなかった。だからあんな馬鹿な看板が建てられたのだ。
 菅直人が、「第二の開国」みたいなことを言っているのは、ほんとにおもしろいと思う。そういうからには「第二の鎖国」があったわけだ。前にも書いたけど、私は、日米安保が、沖縄を出島とした事実上の鎖国政策だったという気がしている。
 そして、政治家も官僚もマスコミも、「中国、キライ。韓国、キライ、ロシア、キライ。みんな、大っきらい!」みたいなことを言って、盲滅法こぶしを振り回しているのをはたから見ると、ほんとにバカに見える。
 先週のSPAの巻頭コラムで、勝谷誠彦が、国後島に上陸したメドベージェフが「ぬけぬけとAPECに来やがって」みたいなことを書いていたが、それは、話が逆で、これでもし、韓国のG20にだけ参加して、横浜には来ないということになったら、困るのは日本の方なのだ。
 ちなみに、勝谷誠彦はそのコラムで
「横浜に来たメドベージェフを逮捕しろ」
と書いていたのである。
 大阪弁で言うところの「たのむわ」である。しっかりしてね。