- 作者: 関口良雄
- 出版社/メーカー: 夏葉社
- 発売日: 2010/10
- メディア: 単行本
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電子書籍元年になりそうな、このウサギ年だけれど、モノとしての本が読書に与えてくれる儀式的な要素は、本を読むという体験全体にとって、そんなに小さくもなさそうな気がしている。装幀、判型、紙質、字体、挿絵、口絵、著者近影、しおりの小ネタにいたるまで。
私は一時期、文庫本のしおりをコレクションしていた。岩波文庫のボードレールとか、憶えている方もいるのではないかと思う。角川文庫の原田知世なんかも持ってたし、集英社文庫の吉永小百合なんてのもあった。
ついでに今、変なことを思い出した。高校時代だったと思う。当時はまだ電子辞書なんてものはない。学生はみんな、分厚い英和辞典を持っていた。あるとき、わたしは、辞書について仕入れたばかりの知識をひけらかしてこう言った。
「なあ、これなんて言うか知ってる?‘帙(ちつ)’っていうねんて。」
すると、一人の友達が辞書の方を手にとってこう言った。
「そしたらこっちは何て言うねん?」
ことほどさように、本がコンテンツであるだけではなく、モノでもある以上、そのコンテンツとつかず離れず、それとは別のモノとしての記憶をまとっていく。
本は、もし読まなくても、買っておくだけでも意味があると、誰かが言っていたが、最近、ほんとだなと思うようになった。
この著者は、尾崎一雄など、作家たちとも交流があった。作家たちも、私たちが作品を通じて知っているのとは別の顔を見せているように思う。
古書肆の店主と作家に、自然に交遊が生まれるなんてことは、まるでおとぎ話みたいに感じる。
最近、無縁化社会とか耳にするけれど、それは、家族とか、地域とかの問題ではなくて、多くの人が、個人として生きる覚悟を失ってしまっているからではないかと思う。
管理社会になれきってしまって、健全な中流家庭やら、標準家庭やらのロールプレイ以外に生きる意味を見いださないのだとしたら、そこに縁を生むべき親和力や求心力は、かぎりなく小さいだろうから。
私は、この本に懐かしさを覚えるけれど、それは失われた社会にではない。ある時代が輝いて見えているとしたら、そこには、この著者のような手応えのある核があることを見失いたくないと思う。
私は、名無しやカオナシが、よってたかって作るという、今という時代の世論というやつには、何の値打ちも感じない。