モネとジヴェルニーの画家たち

 出たばかりの根津美術館をふりあおぐと、六本木ヒルズが見えている。
 あそこに行こうと思っている訳なのだし、見えているのだから歩いて行こうかとちらっと思ったのだけれど、そんな大冒険にくりだすには、私は少し年を取りすぎている。
 おとなしく地下鉄で渋谷に出て、Bunkamuraで開催中の「モネとジヴェルニーの画家たち」へ。
 ちなみに、これは木曜日に書いている。昨日、根津美術館までで力尽きてしまったので。
 今年は、マネ、ドガ、と、一般的にはなんとなく印象派と言われている画家の展覧会に接して、印象派と呼ばれちゃって、草葉の陰で苦笑しているっっていう感じが、まだおなかに残っている。
 その意味では、確信犯としての印象派は、やはり、モネにとどめをさす。印象派もどきみたいな画家たちの絵と、モネの絵を並べるとその差は歴然としている。積み藁ひとつとっても全く違う。
 ところで、これはサイドストーリーになるけれど、モネが居を移した後のジヴェルニーには、世界各地から画家たちが集まってきて、冗談ではなく、村の産業構造が変わってしまったらしい。
 そのことは、モネを慕う画家たちの残した大量の積み藁の絵に現れていると思う。これらの絵を見ていると、積み藁の絵を集めて、積み藁が作れそうだ。
 しまいには、かの積み藁たちは、「ジヴェルニーのお嬢さんたち」と呼ばれていたそうだ。
 今回の展覧会は、モネのおびただしいフォロワーのうちの、アメリカの画家たちの絵が展示の中心になっている。ポスターをよく見ると、小さく「the Beginning of American Impressionism」と書いてある。じっさい、海外からジヴェルニーを訪ねた画家の、七割ほどはアメリカ人だったそうだ。絵を学ぼうとして、パリではなくジヴェルニーに来るというあたりは、ちょっとした屈折なのだろうか。
 そう言われて見るせいか、アメリカの画家たちの絵は、印象派といいつつ、サージェントとか、ターナーとか、ジョン・エヴァレット・ミレイみたいな絵に近い気がした。ほとんど気のせいだけど。
 わたくし、正直、この展覧会は、モネ以外はどうでもいいくらいの気持ちでいたのだけれど、後年の「装飾的印象派」と呼ばれる一群の絵は刺激的だった。
 印象派が、装飾的になるって面白くないですか?
 モネ自身は、晩年、睡蓮の絵など、どんどん表現主義的になっていくのだけれど、彼のフォロワーたちもまた別の進化をしていったというあたりが面白い。
 それは、印象派の後の世代に当たると思うナビ派とかとはまた別の展開で、印象派というビッグバンみたいなことがあった後で、絵の世界が拡散していく感じが実感できてちょっと興奮した。