「キックアス」

knockeye2010-12-26

 今年度のアメリカ映画で最高傑作という呼び声も高い「キックアス」を見てきた。
 この前の「魔法使いの弟子」もそうだったけど、ニコラス・ケイジがよい。ツボを心得ているというのか、わきまえているというのか、「わかってらっしゃる」キレのいい芝居。
 細かいことのあれこれよりも、とにかく、その世界観を観客と共有して、リスペクトしている。役者としてふところが深い。
 「役者は、借金で破産しかけるくらいでないとダメ」という都市伝説を、一瞬、信じそうになる。
 そして、なんといっても、クロエ・グレース・モレッツのヒット・ガール。
 現実においても、ジェンダーという面でも、もっとも弱者と見なされる‘少女’が、スクリーンを縦横無尽に暴れ回る大活躍の、社会に対する破壊力はただものではない。
(実際、ビッグ・ダディに「誕生日プレゼントに何が欲しい」と聞かれて、‘少女みたいな’ふりをするギャグがあった。現実の少女たちが少女を演ずるのは無意識だが、ヒット・ガールは突き抜けている。)
 そして、ここに描かれているのは、間違いなく親子愛であり、勇気であり、それは、なんとなく、世間に蔓延する、プレーンで多数決なお作法やお正義など、2秒でなぎ倒してしまうだろう。
 パンフレットによると、ニコラス・ケイジが、ビッグ・ダディに扮しているときのしゃべり方は、60年代のテレビシリーズで、バットマンを演じたアダム・ウエストそのものなのだそうだ。
「ビッグ・ダディは、僕にとって唯一のバットマン俳優アダムに捧げる役なんだ。僕は、アダム・ウエストを見て育ったし、今でも、彼が最高のバットマンだ。」
 バットマンが初めて雑誌に掲載されたのは1939年だそうだが、2010年のビッグ・ダディが着ている、あのバットマンまがいのコスチュームのほとんどは、実際にフランスの機動隊が着ている、暴動鎮圧用の出動服だそうだ。しかも、ネットで買える。
 つまり、私たちは、いま、現実にバットマンになろうと思えばなれるわけだ、ならんだけで。
 「ハートロッカー」を見たときに、あれは、リアルなアイアンマンだと思ったし、その日のエントリーには「ロボット願望」について書いたと思う。
 しかしながら、狂人をまねるものが、また、狂人であるように、私たちの願望は私たちの現実を変容させる。気がついてみれば、わたしたちは日常的に時速300キロで移動し、地球の裏側の人と会話を交わし、時には、海に潜り、空を飛ぶ。
 よしあしはともかく、少なくとも二千年前の人間とは、全く別の生き物になってしまっている。
 人が変わり、社会が変わり、そして、悪が変わる。そのとき、正義は?。そうでなくても、正義は、常に問われる。その答えに、親や先生にお仕着せられた口まねしか出てこないとしたら、ヒット・ガールにCワードを浴びせかけられておしまい。
 それで、何が面白いかというと、現実を直視したとき、映画として出現するのが、こういうキックアス的な風景だということ。この映画には、アニメにありがちな物理的な不可能はほとんど存在してないからね。