菅直人と与謝野馨 クローン説

 山崎元の「与謝野馨氏の入閣をめぐる7つの問題点」というのを読んでるなかに、
「・・・経済財政諮問会議の骨抜きを、安倍内閣時代は官房長官で、福田内閣麻生内閣にあっては当の経財大臣として進めてきた張本人が与謝野氏であったと筆者は記憶している。」
という一節を見つけて、はたと思い当たることがあった。
 以前(去年の7月29日)、このブログでも、政権交代後の菅直人の動きを、時系列をおって考えてみたことがあった。
 菅直人が、国家戦略局(当時は戦略室)を、まったく機能させなかったことは、当時から非常に奇異に感じられた。なぜなら、国家戦略局は、「脱官僚」を掲げる民主党と鳩山政権にとって、政治主導の主戦場になるはずだったからである。だからこその菅直人の起用だったはずだ。
 現時点でふりかえれば、すでに、かなり断定的にいえると思うのだけれど、菅直人は、国家戦略局を‘骨抜きにした’といえるだろう。そして、その後、藤井裕久のいささか唐突な辞任の後を受けて、財務大臣の座についた。
 一方、与謝野馨は、上の山崎元の記事によれば、自民党の政治主導の場であったはずの、経済財政諮問会議を骨抜きにした後、例の、中川昭一の奇妙な辞任の後を受けて、財務大臣を含む、経済三閣僚を兼任することになった。
 (そう考えると、あの中川昭一の事件は、再考してみる価値があるかもしれない。)
 このふたりの財務大臣就任の経過は、まるで、クローンのように符合している。
そして、いま、そのふたりが、万難を排して、タッグを組もうとしている意味はどこにあるのだろうか。

 どう思います?

 昨日、たまたまテレビを観ていたら、与謝野馨が出ていて、キャスターに
「消費税を上げるにしても、ムダの排除はどうするんだ?」
みたいなことを尋ねられて
行政改革というのは、大化の改新から引き続きやってるので・・・」
 これには驚いた。麻生政権以降、小泉政権以前にまで時計が巻き戻ったとは思っていたけど、まさか、大化の改新までとは。「リーマンショックは、蜂が刺した程度」という発言と併せて、言葉の薄っぺらさが気にかかる。
 さらに、
行政改革をやらなければ消費税の論議ができないというのは、一種の‘逃げ’だと思います」
と発言。
 私は、現時点で、これにはコメントする気にもなれない。
 しかし、一つだけいっておきたいのは、石井紘基殺害事件からもわかるように、暴走する官僚機構は、人命や人権を犠牲にすることに、躊躇などしないし、その最悪の例が、太平洋戦争へと続く軍官僚の暴走だったことは、いうまでもない。 
 だから、官僚の暴走は、政治の力で押さえ込まなければならないし、そのために、政治主導が必要で、そして、政治主導を担保するものは、選挙しかない。
 選挙に掲げた公約だからこそ、官僚の抵抗をしりぞけられる。政治家が官僚と戦う最強の武器こそ、マニフェストだったはずだ。
 松沢成文神奈川県知事が、「民主党は、マニフェストをもてあそんだ」と評したが、残念ながらその通りだったといわざるえない。
 菅直人は、六月までに消費税を無理矢理上げようというつもりらしい。それも、もちろん、マニフェスト違反だが、はたして、この国の有権者はそれを黙認するだろうか。私は許すべきではないと思う。