「有言実行内閣」から「無言背信内閣」へ

 週末、風邪で伏せっていた。
 読書もつらいので、うつらうつらしながら、テレビだけ観たり、観なかったり。 石原慎太郎が、与謝野馨を、‘男だてを売った’と評していたが、最初から、‘男だて’というほどの何かがあったかあやしい。
 その後、当の与謝野馨自身が、ほかのチャンネルに出演しているのを観たら、岸博幸に責められて、今回は、大化の改新こそ持ち出さなかったものの、つまりは、‘行政改革は後回し’という宣言を、また、悪びれもせず陳述していた。
 驚いたのは、菅直人は、与謝野馨だけでなく、舛添要一にも、入閣を打診していたそうだ。
 そして、与謝野馨には税制改革を、舛添要一には社会保障制度改革を、お願いするつもりだったらしい。政権交代で倒閣した、麻生政権の閣僚二人に、税と社会保障を任せてしまおうというのだから、もし、実現していたら、かなりグロテスクなことになっていただろう。
 完全な、民主主義の愚弄である。中国という、非・民主主義国家の台頭で、民主主義の価値が試されている、そういうときに、こういうお粗末なことをしてはずかしくないのだろうか。もし、消費税を上げるつもりなら、その前に、衆院を解散して、民意を問うべきという、前原誠司の意見が正しいと思う。
 菅直人は、参院選で、消費税増税を唐突に言い出したときから、「超党派超党派」と口にしていたが、今にして思えば、彼自身には、戦略どころか、野党に示すべき提案すらもなかった、ということらしい。
 菅直人は、事務次官たちを前に「『脱官僚』に、いきすぎがあった」と謝罪したらしいが、民主党が、いつ「脱官僚」しただろうか?
 そもそも、「脱官僚」のグランドデザインを描くはずだった国家戦略局が、菅直人自身の無為のせいで、全く機能していないのに、どうやったら、「脱官僚がいきすぎ」られるんだろうか?
 言葉をもてあそぶのもいい加減にして欲しい。
 とどのつまり、民主党はもう完全にお手上げ。政策は官僚に丸投げ、までは旧来の自民党と同じだが、その上、戦略さえ野党に丸投げ、というのが、ものすさまじい。
 しかも、その戦略といったところで、まず消費税増税ありき、ということにすぎず、金が足りない、だから、増税する、と、そんなことを、もし戦略と呼べるなら、それが、菅政権の国家戦略なわけだけれど、消費税を上げざるえないと、ほとんどの国民が思っていたとしても、消費税を上げさえすればすべてうまくいく、と考えるほどおめでたくはない。
 だからこそ、あの参院選で、消費税増税についての戦略を、菅直人がどう語るか、国民は固唾をのんで待っていたと思う、が、菅直人の口から出てきた言葉は
自民党の案を参考に10%」
「所得400万円以下の人には全額還付」
って、あのぅ、消費税って、自販機でジュース買うだけでも発生するんですけど、どうやって還すの?
 もしかしたら、菅直人は、あの参院選の敗退の意味を、いまだに理解していないかもしれない。あのとき、私が抱いた菅直人に対する失望が、国民全体のそれと、そんなにかけ離れていないとしたら、菅政権にもはや出口はないと思う。
 岸博幸このコラムを読むと、与謝野馨菅直人が、気脈を通じ合うのがよくわかる。
 上杉隆は、菅直人を「バルカン政治家」と言ったが、要するに、右顧左眄するのみで、一貫した主張がない。
 こういう二人が寄り集まって、とりあえず増税、みたいな政策を続けられたら、その増税は、際限なくふくれあがるしかない。
 岸博幸が、上のコラムで指摘しているとおり、財政再建、経済成長、行政改革、は、一体で推し進めていくべきであるし、経済財政諮問会議がまともに機能していたときまでは、現に、そうしていたはずであり、それになにより、それが政治の仕事だろう。
 風呂に湯を張りたければ、まず、湯船に栓をしろといっているだけのこと。蛇口を開けることと、湯船に栓をすることは、また別のことだ、という理屈があるだろうか。
 具体的に言えば、八ッ場ダムみたいな、誰が見てもムダな事業ひとつとめられないで、どれだけ増税しても追いつくはずがない。
 子ども手当や、農家の直接補償といった政策から、民主党は、間接的な分配をやめて、直接的な分配へと向かうつもりかと思っていた。つまり、官僚的な社会主義から、社会民主主義へと、国のグランドデザインを書き換えるのだと思っていたが、それは全くの思い違いで、あれは単なる選挙目当てのばらまきだったらしい。とても残念だ。