小林清親

knockeye2011-03-09

 ここ二週間、週末は春、ウイークデイは冬、という寒暖差の厳しさで、この月曜日は、神奈川でも、また、少し雪が積もった。
 季節の話題を書くのは、日記のならいとしても、この場合は、最近、更新が滞る言い訳でもある。ちょっと体にこたえる。
 ただ、自問してみるのだが、それだけではないかもしれない。うんざりさせられる話題が多くて、おそらくネットに充満している愁嘆の声に、わざわざ連なろうという気になれない。 
 そのような話題についても、自分の立場だけははっきりしておきたいと思っているが、でも、今日は、まだ書き終わらない先週末のつづき。まさか、翌日に雪が降るとは思ってもみない、シャツとカーディガンだけで汗ばんだ、よく晴れた週末の話。
 話が前後してしまうのだけれど、ほんとは、ヴィジェ・ルブランの前に、太田記念美術館に、小林清親を観にいった。
 歌川国芳が好きになって、そのつながりで、弟子の月岡芳年も好きになり、なでぎりに切り捨ててきた、明治以降の絵のなかにも、アカデミズムと無関係な浮世絵には、面白いものもあると思い始めている。
 月岡芳年にくわえて、川瀬巴水、そして、今回の小林清親。浮世絵が燃え尽きる、最後のひとゆらぎのような華やぎがある。
 小林清親は、ほかにも見たことがあるが、今回展示されているのはどちらかというと若描きなのか、スタイルが定まらない印象。とくに、西洋画風に立体感を出そうとした絵なんて、時代が時代だから仕方ないけど、実際には、西洋の絵より、特に版画は、江戸時代の浮世絵の方がずっとすぐれているのに、ムダな寄り道に見えるし、案の定、その道はすぐに引き返したみたい。
 ポンチ絵も、笑いの破壊力では、歌川国芳に遠く及ばない。
 今回の展示で、私が気に入ったのは、光線画と言っていたらしい、情趣豊かな昔の東京を描いた風景だった。
 シルエットを多用するドラマチックな構図が多いが、浮世絵を見慣れた目で見ると、それは一方では、彫り師刷り師の技術が失われていく現場を見せられているように思えて、寂しくもあった。そのせいか、浮世絵にあこがれながら、彫り師刷り師がいないので、全て自分でこなしたというフランスの浮世絵師、アンリ・リヴィエールの絵に、似て見えるのが面白かった。
 また、歌川国芳の弟子で、まごうかたなき江戸の浮世絵師の直系、月岡芳年とちがって、まったくの独学という小林清親の絵は、むしろ、その後に続く新聞の4コマ漫画の絵にも似て見えた。具体的に言うと、長谷川町子の「サザエさん」のタッチなんかを思い出していた。なんとなく、浮世絵とマンガをむすぶミッシングリングのような気がして面白かった。