今回の原発事故はPL法にふれないの?

 死の灰が降り始めたのかと思ったら、いつのまにか雪だった。今年は、幼稚園の桜の蕾もまだ固い。
 計画停電は、いつ終わるかしれない状況になってきた。どういう見通しだったのか、はじめは、四月いっぱいとかいっていたのに、夏まで・・・とかなんとか言い始めている。
 一方、日本海側では、関西電力が、出平ダムの垂れ流すヘドロで、富山湾のさかなを死滅させておいて、「因果関係が証明できない」と、うそぶいているし、電力会社は、日本的官僚主義のショーウィンドウになりそうだ。
 いま、私が職場で動かしている機械は、少なくとも15時間連続で動かさないと、生産がストップする。論理的には、いまの計画停電でぎりぎり可能だが、実際の運営上では減産せざるえない。いろいろな職場を転々とした経験からいっても、そういう製造の現場はむしろ珍しくない。悲鳴を上げてる製造現場は多いはずだ。
 3時間連続の停電など、かなりお歳を召した方でも、経験がないのではないか。自分の記憶をだぐってみても、落雷とか、台風とかでも、30分も停電していたかどうか。
 首都圏で、しかも、毎日3時間の停電は、たぶん戦前にまでさかのぼらなければ、例がないんじゃないか。
 つまり、このままでは、首都圏の経済規模が、戦前レベルにまで縮小する。
 この期に及んでもまだ、自らの無謬性に拘泥して、軌道修正できない官僚(ミミズ程度の脳みそしかないのかと思うかもしれないが、おそらくそうではなく、脳みそは優秀なのだが、生態がミミズ同然なのだ)は、原発推進にこだわって、東京電力の損失を小さくすべく、どうやって言い逃れようかということに、全神経を集中させているようだが、おそらく事態の深刻さを、まったく見誤っている。
 原発再開のめどが立たない以上、すみやかに代替エネルギーの普及に、政策をシフトさせないと、取り返しのつかないことになる。経済的損失は計り知れない。
 今朝の神奈川新聞によると、神奈川県知事に立候補している黒岩祐治氏が、

県内全世帯に太陽光パネルを実質無償で設置する政策を重点に掲げ、「4年間で200万戸に設置する」としている。
 仕組みは、個人や事業主が大半を負担するパネル設置費を、新たにつくる県出資の新会社が代わりに銀行から借り入れて負担することで設置を促進。太陽光でつくった電力を電力会社に売るなどして得た売電収入は借入金の返済に充て、完済後は個人などの設置者が収入を得るという内容。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103230015/

 私としては、ほんとにそれをやってくれるんだったら、そのためだけに知事になってくれてもいいと思う。
 しかし、ちょっと考えると、こうしたビジネスモデルが、民間資本で誕生しないのが不思議なのだが、そのあたりには、企業のなれ合い体質があるのだろう。
 思い出してみれば、去年亡くなった忌野清志郎が、原発を批判する歌を出そうとしたとき、東芝EMIがアルバムの発売を拒否したことがあった。
 東芝EMIが東芝に遠慮する、みたいなことは、企業人として恥ずべきことだと私は思うけれど、とにかく日本の企業風土では、それが普通みたいで、ホリエモンなんかが失脚するのも、そういうことが背景にあると見るべきなのだ。
 ところで、今回の原子炉の事故は、東京電力はもちろんとして、原子炉を納入した業者(そういうのがいるかどうかしらないが)は、製造物責任法、いわゆるPL法にふれないのだろうか。不思議に思う。