計画停電の不公平について

knockeye2011-03-30

 計画停電が始まってから今まで、私の在所では、なぜかまだ一度も停電していない。
 不公平でしょ?
 この歴然とした不公平に不満の声が上がっているらしいのは、ちょっと考えると、当然のようだが、はたしてそうか、と疑問を投げかけてみる。
 たとえば、あなたのうちが停電しているのに、お向かいさんはこうこうと明かりがついているとする。「不公平じゃないか」と、東京電力に苦情の電話を入れる。数分後、お向かいさんの明かりが消える。「ふん!」と、内心でほくそ笑む。あなたの求めているのは、こういうことだと思う。
 私が思うに、あなたの不利益は、‘自宅が停電していること’で、‘自宅が停電している一方で、お向かいが停電していないこと’ではないはずなのだ。問題は、不公平ではなく、停電なのである。なのに、どうしてあなたは、停電よりも不公平を重んじるのだろうか?
 私はいま、この現象を、興味を持って見ている。
 なぜなら、これは、あの‘格差社会論’の全くの再現だからだ。問題は貧困で格差ではないのに、なぜか、格差の方に過剰反応をした人たちがいたように、停電よりも不公平に過剰反応するひとがいることは、今後どういう風に世論を動かしていくだろうか。
 隣人どうしで足を引っ張り合う、日本のようなムラ社会でなければ、
計画停電してんのに、正規の電気料金とるつもりか?」
とか、
計画停電で売り上げが落ちたぶん補償しろ」
とかの、東京電力に対する不満の盛り上がり方をするはずだし、その方がはるかに理性的だと思うのだ。
「不公平を解消しろ」
みたいな苦情は、東京電力としては、むしろもっとも御しやすいものであるはず(なにしろ、停電させなくてもいい地域まで停電させれば気が済むというのだから)で、内心、苦笑しているかもしれない。
 格差社会論が結果として、官僚支配に有利に働いたように、こんどのことも、経産省天下り団体、東京電力に有利に働くわけだろうか。
 まじめな話、お隣やお向かいが電気がついているかどうか、カーテンの隙間から覗き見しているより、みんなで東京電力集団訴訟でも起こした方が、はるかに有意義じゃないんだろうか?
 ところで、私の近在が、今までのところ停電していない理由は、わりあい、想像がつきやすくて、それは、エリア内に米軍基地があるからだろう。
 ふだん、頭上を米軍機が飛び交っている不公平については、見て見ぬふりなのに、そのおかげで、計画停電がされないとなると、とたんに目を三角にしていきりたつたぐいの、ヒステリックな人たちが、この状況をよくしていくとは、ちょっと考えにくいなと思っている。
 それから、なんか「国難」ということばを耳にするようになったけど、苦難に直面しているのは、人であって、国ではないという意識は持っていないと、見失うものが大きいという気がする。