原子力発電はフランスに丸投げしよう

 月末の繁忙期を乗り切り、今日は日があるうちに帰った。
 勤め先を出るときに降り出した雨は、10分も歩かないうちに上がり、背中から差しはじめた西日が、薹の立った蕗をなでていく、坂道を登り切ると、谷の向こうに大きな虹が架かっていた。
 赤信号を待ちながら、携帯のカメラで撮ろうとしてみたけど、ちょっと無理だったみたい。
 時節柄、『黒い雨』のラストを思い出したりしていた。
 田中康夫が、福島原発30km圏内の南相馬市に支援物資を運んだ手記が、SPA!にあった。
 阪神淡路大震災の時から、この人のこういう行動力には、すなおに頭が下がる。立派だなと思う。

 今回の事故で、効率的と思われていた原発が、事故のリスクとコストを考えればもっとも効率が悪いと判明した。

これについては、地震の直後にも書いたが、今回、原発のダメージを最小限にとどめられていたら、文字通り、原子力ルネッサンスになりえたかもしれないのに、彼ら自身の、甘い見通しとずさんな管理が、その可能性を失わせた。
 結局、そこにあるのは、‘人’の問題で、天下り連中に、危機管理、どころか、社会人としてのまっとうな責任意識すら、求めるのが無理だったのだろうことは、「総理大臣が視察に来たので、ベントが遅れた」みたいな、厚顔無恥な言い訳をするに及んでは、容易に理解できると思う。

 日本の太陽光技術は世界屈指だったのに国策として支援せず、諸外国に追い抜かれた。この震災を教訓として、太陽光や地熱発電に力を入れていくべき。

 同じ週のSPA!の「ひろゆきのネット炎上観察日記」には、

新たな燃料開発が軌道に乗るまでは、原子力に頼らざるをえないと思ったりするのですが、原子力発電に反対している人は、エネルギーをどう確保するか考えてから言ってるんですかねぇ。。。

と書いてあった。
 頼らざるをえないから頼っていたのに、当の東京電力が全然頼りにならなかったというだけのこと。
 それより、現状、4〜6基もの原子炉が、一斉にコンクリ詰めで、太平洋に沈められるという事態に対して、当面の代替エネルギーはどうしようというつもりなのか、それこそ考えてから言ってるんだろうか。
 しかし、このあたりのことは、ちょっと素人では情報を仕入れられない、裏事情が複雑に絡み合っているだろうことは間違いなく、どう転ぶかはまったくわからない。
 今日のニュースで、フランスの原子力発電の専門家が、急遽、来日していたので、どうだろうか?、庶民の考えとしてだが、東京電力の経営をフランスの電力会社に譲渡してしまえばよいのではないか。
 防衛上云々は、百も承知だが、現状、天下り連中が、国家の危機を招いているんじゃないのか。
 官僚が、この国を壊滅的な危機に陥れるのは、今回で何回目なのか。
 そして、政治が脱官僚に取り組もうとすれば、格差社会だ、新自由主義だと、愚にもつかないご託をならべて、とどのつまりは、国民自身で責任を負おうとせず、結局、官僚に権限を丸投げしてしまうのであれば、発電くらい外国人に任せてしまったって、同じことじゃないのか。
 どうせ防衛だって、外国に丸投げしてるんだし。
 カルロス・ゴーンは、自ら被災地に入って、現地の従業員に再建を確約してたよ。東京電力の社長とどちらが信頼できる?
 一方、ニューズウィークには
「震災でわかった日米の競争力格差(Japan Rules Global Supply Chain)」
という記事があり、世界のサプライチェーンに日本の存在がいかに重要かを、大きく取り上げている。
 つまり、今回のことで明らかになった、日本という国の姿は、
「優れた民間、腐った官僚」
これなのである。そして、この矛盾する二つの層をつないでいるものこそ、ゴルバチョフが、「世界で最も成功した」と洞察してみせた、社会主義的な均質志向なのだ。
 その社会主義的な、ムラ社会資質のために、民間が築き上げた富を、官僚が蕩尽するという悪弊を、どうしても抜け出せないのだとすれば、やはり、そこは変えていかなければならない。少なくとも、自覚していかなければならない。
 この国の致命傷になりかねないのは、震災や原発事故ではなく、今もまだぬくぬく(テレビでの官僚のなめきった記者会見をよく見て)と増殖中の官僚主義という癌だと思う。