後藤新平、孫正義、辻井喬

 大沢たかお主演のテレビドラマ「JIN」の評判はすこぶるよいのだけれど、電車の中吊りなんかで主人公が見下ろしている、江戸の街のCGは、なんか戦後の焼け跡みたいにすかすかで、ちょっとがっかりさせられる。江戸は、深い森の中に沈む森林都市だったと耳にしている。
 歌川広重が、<名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣>に描き残した、見ているだけで胸がしめつけられるような詩情が感じられない。
 もしかしたら、‘美しい都市’というイメージそのものが、今の日本にもっとも欠けているヴィジョンなのかもしれない。
 美しい街をつくることが政治だとすればだが、田中角栄以後の土建屋政治(それはとりもなおさず自民党政治そのものだと思う)が、高度経済成長で国民が蓄えた富を、政官財の癒着構造の内部で循環させるためだけに、作っては壊し、壊しては作った、道路、ダム、ビルの、無計画な増殖と肥大化が、結果としてこの国に残したものは、今、私たちの目の前にある。
 こどもたちが歩けない道、無残に刈り込まれた棒っきれのような街路樹、コンクリートで固められた腐臭を放つ川、削り取られた山、美意識のない街。
 被災した東北の復興にむけて、関東大震災後の後藤新平の仕事が注目されるている。
 小林信彦は、かつて後藤新平の業績を調べたことがあるそうで

 後藤の仕事については、越沢明氏の「東京都市計画物語」がもっともくわしい。岩波新書の「東京の都市計画」(同氏)もわかり易く、前者は1991年11月、後者は同年12月に出版されている。なぜ、同時期に出たかといえば、計画の原案が発掘されたのが、1989年(平成元年)だったからで、それまで からかい の目で見られていた後藤の仕事の全貌が、この時、明らかになった。

 政治家はよい仕事をしたとしても、百年後に評価されるか、または、忘れ去られるかのどちらかだが、そうした毀誉褒貶を超えたところに美学を見いだせないなら、はじめから政治家などこころざすべきでないのだろう。

 後藤新平とその弟子たちが作り上げた東京にぼくは生れ、育った。あれほど住み易く、美しい街はなかった、と今にしてつくづく思う。

と書いている。今週の週刊文春
 同じ号には、福田和也中村彰彦、水木楊の「復興を支えた日本人」と題した鼎談が組まれている。なかでも、1657年、明暦の大火のとき、将軍補弼役だった会津藩主、保科正之の活躍が印象深い。
 武家方より町方の復旧を優先し、「それでは御金蔵が空になる」と渋る老中に
「これだけ出せるのは、蓄えがあったればこそ。じつにめでたい」
と取り合わず、十六万両を支出させた。
 復興構想会議が立ち上がる前から、早々と増税を既成事実にしようとしている、現在の為政者と比べてどうだろうか。当時の役人は、悪くも、国の蓄えを憂えたわけだが、今の役人はそれさえすでに使い果たし、あまつさえ、震災を増税の口実に使おうとしている。
(参照「復興増税」論の隠された意図を暴く
 復興の財源として、増税がいいのか、国債がいいのかは、もちろん考えなければならないことだが、何をどう復興するかの議論が始まらぬうちに、増税だけが一人歩きするには、‘渡りに舟’といった、官僚の魂胆が見え透く。亡くなった3万人もの国民を悼む気もなく、大震災で焼け太りしようと画策している。
 上杉隆によると、孫正義ソフトバンク社長が、民主党の復興ビジョン検討チームの会合の冒頭で、
「昨年、米国では原子力発電のコストと太陽光発電のコストがクロスオーバーした。原発は低コストだという認識を変える必要があるのかもしれない」
と発言して、

雇用創出も含めた壮大な地域復興ビジョン、「東日本ソーラーベルト構想」を発表した

 この提言は、官僚のエネルギー囲い込みを突破する試みで、勇気ある行動だと思う。
 この記事にあるように、自然エネルギーの電力利用にとって、最大の抵抗勢力は、電力会社であり、そして、その背後にいる官僚だからだ。
 ドイツでは、現在、全電力量の17%を自然エネルギーでまかなっている。日本でこれができないのは、わが国の原子力発電が飛び抜けて安全だから、ではないことはすでに証明された。また、わが国に自然エネルギーを開発する能力がないから、ではないことはいうまでもない。
 政治が官僚をコントロールすべく、機能していないからであり、国民が官僚の言いなりになっているからである。
 たとえば、企業の要請を無視して、東京電力が敢行した今回の計画停電も、そういう示威行為を眼前にしながら、計画停電そのものに異議を唱えず、「計画停電が不公平だ」では、お話にならない。飼い犬同然、えさが公平か不公平かしか気にならないのか?
 そういうムラ社会心理を脱しないかぎり、同じような問題は、姿を変えて、何度でも立ち現れると思うし、今までも何度も目にしてきたはずだった。
 私も、今回被害にあった東北沿岸地域は、世界に先駆けた環境都市として、うまれかわるのが良いと思う。それは挑戦しがいのあることだと思う。
 金曜日の新聞に興味深い記事がふたつ載った。
 ひとつは、東日本大震災を取材した中国人記者(中国ディアが今回日本に派遣した150人超という規模は、異例のものだったそうだ)が、北京市内で開いた報告会の記事。多くの記者が、日本人の忍耐強さや冷静さに感銘を受けたと報告した。

未曾有の災害にあっても取り乱さず、スーパーに列を作って並び、便乗値上げも起きない。親族を埋葬する際でも、大きな泣き声を出さないよう耐える姿にも感動した。

ある週刊誌は

「忍の国」というタイトルをつけて震災を特集。犠牲者に丁寧に敬礼し、埋葬する自衛隊を詳しく紹介

したそうだ。
 報告後の質疑応答で、「日本人の良い話ばかりだが、悪い点はないのか」との質問には「政府の救援能力は中国ほど高くない」と応えていたそうだ。
 もうひとつは、辻井喬の「日本人の美徳 東日本大震災に思う」という寄稿。
 辻井喬は、企業人としては堤清二だが、この人に関して、以前、糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」のコラムを読んで、感銘を受けたことがある。先ほどの孫正義にしてもそうだが、企業家が社会に責任意識を持っているというのは、こういうことかと理解できたのは、あのコラムだったと思う。
 文章は、どこか切り取って紹介できるという感じのものではないのだけれど、要約するのはおこがましいので、私なりの勝手な感想を書いておく。
 今回の震災では、上記の中国メディアもそうだが、日本人の忍耐強さと共同精神が、世界各国に強い印象を与えた。しかし、今までをふりかえると、これらの特徴は、権力への従順さと排他的な内向き志向として、批判されてもきたことだった。つまり、これらの特徴は、日本人の、自己に対しても、他者に対しても、いずれにしても権利意識の低さの表れにすぎないと思われてきたわけだった。
 だが、辻井喬は以下のようなことを考えているのではないかと、私が勝手に憶測しているのは、それでは、私たちの権利意識が向上すれば、これらの美徳も失われてしまうのだろうか、あるいは、すくなくとも、反比例的に減少するのだろうか。
 東日本大震災を目の当たりにして思うには、どうもそうではないのではないか、近代以降、私たちにとって人権は、外来の観念でしかなかった。だから、人権意識が、それと引き換えに、日本人の本来の美徳を圧し殺してしまうだろうと、暗に考えていたが、そうではなく、今、私たちが目の前に見ているこの美徳こそが人権だったのだ。
 近代以降、私たちの国が行ってきた慚愧に耐えないこと、惨めすぎることは、権利意識が肥大したためではなく、権利意識をもたなかったために起こったことではなかったろうか。
 私たちの人権が私たちの美徳から出発して、権利を主張している限り、それが肥大するということ自体があり得ない。むしろ問題なのは、近代以降、外来の概念としてこの国を牛耳ってきた官僚が、私たちの美徳とまったくつながりを持たないことだったのだ。
 辻井喬は、こう結んでいる。

われわれが自らの美徳を、平和と自己決定の方向へと自覚的に把握するならば、災害を乗り切れる力はさらに大きくなれるかもしれないのである。

 名残の桜もおおかた散り終わり、ハナミズキがみずみずしい花を咲かせ始めた。
 私がこの花を見るたびに思うことは、戦前、日米友好のために日本から送られた桜の木が、戦時中、反日感情から切り倒されようとしたとき、現地の人たちが身を挺してこれを守ってくれたという話。
 これに対して、アメリカから日本に送られたハナミズキは、その消息さえわからない。花を思う心で負けていたとしたら、戦争にも当然負けるだろうと、いつもひそかに思う。