ゴールデンウイークあけの週刊文春、阿川佐和子の対談相手に糸井重里が来ていて、震災のことについていろいろ語っている。
考えてみれば、ほぼ日刊イトイ新聞は、マスメディアからネットへと移行していったユニークで理想的な成功例だ。
先日、辻井喬が「日本人の美徳」について書いた新聞記事も、「ほぼ日」に糸井重里が書いていた、印象的なエピソードを読んでいなければ、こころに引っかからなかっただろう。
辻井喬は、結婚退社していく女性社員を「人材、嫁ぐ」という言い方をすることについて、
「企業の論理を、女性たちに押し付けるようなことが、ぼくらのやりたかったことなんですか!」
と激怒した人なのである。
あのとき、とりあげた新聞記事でも、男女の労働差別の改善が、遅々として進まない日本の状況も指摘していたし、そもそもあの記事の冒頭にふれられていたのは、石原都知事の天罰発言についてなのである。
だから、辻井喬が「日本人の美徳」というとき、今さらに、ネット右翼の残党がいうような‘日本人優秀論’的な、脳天気な発言とは、まるで意味が違う。
それを踏まえた上で、私があのとき思い浮かべていたのは、白洲正子が‘本地垂迹’について書いていたことだった。
本地垂迹という思想は美しい。が、完成するまでには、少なくとも二、三百年の年月がかかっている。はたして私達は、昔の人々が神仏を習合したように、外国の文化とみごとに調和することが出来るであろうか。
‘日本文化’という言葉は、右翼と官僚に簒奪されてきた。このブログで何度も書いてきたが、迷彩服でがなり立てる連中が、日本文化を口にするたび吐き気がする。国粋主義は、それ自体が西洋文明に対する歪んだ愛情にすぎず、そこには文化と言える内容などこれっぽっちもない。
にもかかわらず、このような大震災に見舞われたときには、中国人でも、アメリカ人でも、イギリス人でも、世界中のどんな国の人の目で見ても、‘美徳’といえるものが、日本人にあるのだから、私たちが、そこにこそ‘日本文化’を主張すべきであることは、あまりにも当然だ。
そして、その「日本人の美徳」から出発してこそ、個人としても国家としても、政治的権利を主張できるはずなのである。
東京裁判で、重慶の爆撃について問われた石原完爾のように、
「西洋人もやってるから、俺たちもやったんだ」
では、あまりにも幼稚すぎないか。すくなくとも、誰からの尊敬も得られないことはまちがいないし、もっとも重要なことは、日本人自身が、それを美徳とは思わないはずである。
だから、繰り返しになるけれど、二万五千人もの人が亡くなった、このような大災害に際してまで、「日本人はすばらしい」みたいな、結局は民族差別にすぎない感想しか心に浮かばないくだらない連中のことはこの際、考えに入れなくてよい。
そうではなくて、明治維新以来、西洋の借り物でしかなく、そのために、それ自身、西洋の借り物でしかない官僚という身分に身を置いた連中が、金科玉条と振り回してきた、法の精神や人権を、私たちは、実は、私たち自身が美徳と考えることに立脚して、とらえ直すことが、きっとできるだろうし、これから、それをしていかなければならないだろうという、小さな発見が、この大きな災害の中の、小さな希望かもしれない、ということを、辻井喬は、たぶんいいたかったのだろう。
あのとき、私は、そういうことを書いたつもりだったのだけれど、すこし言葉が足りなかったかもしれないので、もう一度書いてみた。