女川スタンダード

 新聞に、‘これから原発vs.脱原発の議論が激化するだろう’みたいなことを書いている人がいたが、それは違うと思う。
 不毛な水かけ論が長引く間に、既成事実を積み上げるのが、官僚のやり方だ。そもそも決着がつくはずがない議論に憂き身をやつした、旧世代の政治論とはもう決別すべきだ。
 今回の原発事故を、一般論にすりかえることは、責任の所在をあやふやにする行為だ。
 なぜなら、東北電力女川原発は、福島第一原発より、はるかにひどい津波をこうむりながら、無傷で稼働している。
 したがって、今回のことは、福島第一原発と、その運営者である東京電力、その監視機関であるはずの所轄官庁の三者による人災なのだ。
 女川原発が、1200年に一度の大津波をしのいだことを考えると、浜岡など他の原発も、女川をスタンダードにすることで、安全性を宣言できるだろう。
 だからこそ、その一方で、事故に責任のある、事業者とその監督官庁には、厳罰が処せられるということでなければ、すべての電力事業者が、自分たちのよって立つべき社会的信頼を放棄することになるだろう。
 今回の事故について、東京電力以外の電力事業者も、補償を負担することが求められているそうだが、もし、そんなことに応じれば、自分たちも、東京電力と同じ事故を起こしかねないと認めるようなものだ。断固拒否すべきだろう。
 もし、東京電力に罪がないなら、原子力発電そのものが危険なのだし、原子力発電が危険でないなら、東京電力に罪があるのだ。 
 その意味で、これからも電力の幾分かを原子力に依存しなければならないのだとすれば(すくなくも10年や20年で原発全廃などできるはずもないのだから)、東京電力の延命策はばかげている。
 東北電力中部電力北陸電力など、他の電力会社に経営を無償で分割移譲して、そこから上がる利益で、被害者への補償をまかなっていくべきだろう。
 この補償についても、‘税金か、料金値上げか’などという、どちらにしても、国民負担にしかならない議論が湧いて出ているが、まったくばかげている。
 いかさまトランプは、カードを配るときから始まっている。そのことに注意しておくべきだ。