日の丸

 少し前に、‘日本人の美徳’について書いた。
 誰に強要されなくても、このような未曾有の大災害のもとでも、日本人は、勇気と協働精神を発揮して、それは、世界の人たちに感銘を与えた。
 明治以来、学者や官僚など、専門家だけが取り扱う舶来品だった、人権とか自由とか義務とかいう概念を、私たちは、自分たちが自然だと信じられる‘美徳’から出発して、もう一度、とらえ直すべきなのではないかと書いたわけだった。
 権力で強制される行為は醜く、自然に発露する善意は尊い。そのことは、今回、震災の襲った数分間に、無名の人たちが示した勇気に、私たちが改めて気づかされたことだったと思う。
 今回の大阪府知事による‘君が代強制’は、櫻井よしこでさえ、やむをえないとしながらも、‘法令で強制するのはおかしなこと’と新聞に発言していた。
 原発事故についての、日本の閣僚の会見は、日の丸に一礼するところから全部海外に放送されているそうで、‘権威におもねる姿’に映るそうだ。
 日の丸に限らず、国旗は一枚の布にすぎないが、その布の価値を高めるかどうかは、それを背にしている人の行動いかんにかかっている。国民が、国旗の価値を決めるのであって、国旗が国民の価値を左右しない。
 簡単に言えば、もし、暇つぶしに話す相手をさがすだけでも、日本人かどうかではなく、話して楽しいかどうかで選ぶ。
 国家を、人間の上位におく考え方は、差別を増産しただけだと思うし、いずれにせよ、とっくに賞味期限が切れてる。
 *追記
 マクラーレンメルセデスジェンソン・バトンが、日の丸をあしらったヘルメットで、モナコGPを走る。

「自分には日本との多くのつながりがある。今は特別なときだから」と理由を説明した

そうだ。
 もし、これが強制されたことだとしたらどうなるだろうか?
 橋下徹のやっていることは、よくて時代錯誤、事実上は国民の自然な郷土愛に対する冒涜にすぎない。