公共事業としての太陽光発電が産業構造を変える

 すこしまえに池澤夏樹が「ブログの文章には‘してしまった’が多すぎる」って書いていたので、気をつけていたのだけれど、昨日の文章は‘しまった’だらけ。
 職場でエアコンを切っているのって、けっこうこたえていると思う。私の勤め先でも、来月からサマータイムをとりいれるそうで、私はなぜか夜勤になる。それやると、かえってピーク時に機械が動くことになるのだけれど、たぶん、上の人は、現場がわかっていないので、黙っておくことにした。夜に働いた方が、いくぶんか涼しいだろうというわけ。ただ、暑い昼間に寝ることになりますけどね。
 橋下徹が、関西電力の節電要請を拒否した理由が、「そんなの原発が必要だという方向に世論をもっていく作戦なんですよ」って、誰もが思っていることをぶっちゃけるのは、とりあえずえらいと思う。
 電力会社って、顧客に満足なサービスも提供できないで、なんでえらそうにしているのか。ほとんど‘商いの道にもとる’が、そりゃやっぱり独占の弊害なんだろう。
 たとえば、原発事故以来話題になっている、‘埋蔵電力’。
 日経ヴェリタスの記事によると、「全国の企業が持つ自家発電を足し合わせると、発電能力は6000万キロワット。東京電力の供給量に匹敵する」そうだが、「発送配電分離」がされていないために、これがむざむざ捨てられている。

 1995年から段階的に進められてきた電力自由化の動きの中、2000年の自由化第2弾でPPS(特定規模電気事業者)は生まれた。

「おたくから買えば停電を避けられるのか」──。PPS大手のダイヤモンドパワー(東京・中央)には3月の計画停電のさなか、メーカーやオフィスビルからの問い合わせが殺到した。
 東電分が足りなくなったらPPSから買えばいいと誰もが考えたわけだが、残念ながら答えは「ノー」。電力会社が送電網というインフラを一手に握る「弊害」がここにも表れた。

 02年、当時の村田成二・経済産業事務次官が旗を振り、電気事業法改正案に、電力会社が電力サービスを上流から下流まで丸ごと担う仕組みをガラリと変える「発送配電分離」を盛り込む段取りを整えた。

 だが、この時は東電のトラブル隠し事件で福島などの原発が一時停止に追い込まれる事態になり、電力供給を維持しようとした東電幹部が自民党の電力族に駆け込んで、議論を押し戻した

 電力自由化の推進を主張するNTT出身の武井務社長は「送電網を電力会社が握ったままでは独占時代と変わらない」と指摘

しているそうだ。
 ついでに、けさの新聞には、自民党石原伸晃が、原発再開をめぐるイタリアの国民投票で、反原発派が勝利したことを「集団ヒステリー状態」と発言したことが記事になっている。
 このブログでもとっくに指摘したけれど、自民党民主党の一部が結託した、菅直人おろしの背景は、これがコアであることは、素人目にも明らかだ。なにしろ、菅直人おろしが急に動き出したのは、菅直人がG8で‘1千万戸の屋根に太陽光パネルを設置したい’と語った直後からなのである。
 この計画が、私たちが思うほど、実現が難しくないらしいのは、これに対する反発のつよさが物語っているのだろう。
 実現が難しいどころか、この計画は、‘有望な公共事業’という性格を持っている。
 よく、‘小泉構造改革で地方経済が疲弊した’とかいうけれど、それがウソだというのは、その‘地方経済が疲弊した’という言葉の内容は、実は‘地方の土建屋の仕事が減った’というだけのことにすぎないからだ。
 高度成長時代に、土建屋に金をばらまきつづけた無計画な事業は、インフラがひとわたりゆきわたれば、なくなるにきまっているし、そういう乗数効果の期待できない公共事業に金を回しつづけたからこそ、国の財政も大きく傷んだのだった。
 いま、原子力発電や電力事業の独占から、自然エネルギーや送電発電分離へという、大きな変革の流れを、阻止しようとしているこの動きこそが、バブル崩壊以来、この国が何度も繰り返してきた失敗の歴史そのものだと気がつくべきだ。
 太陽光発電の普及は、東京電力などの既得権益事業者、‘電力族’といわれる政治家たち、また、電力事業の権益を囲い込んできた官僚やその関連団体にとっては、打撃であるに違いないだろう。
 しかし、誰も通らない道を、相場の何倍ものコストで作ったり、赤字を垂れ流すグリーンビアやかんぽの宿を運営したりすることと、電力の供給を安全にし、そして、新しい産業を興して、国際的な経済競争力もつけることにもなる、太陽光発電の普及と、どちらが本来的に‘公共事業’の名に値するのか。
 日本人の多くは、公共事業=道路工事と思っている。
 それは、‘公共事業’といったとたんに、土建屋が群がってくる政官財の癒着が、あまりにもたやすく見過ごされてきたからだ。
 この構造を改変しないかぎり、この国は一歩も前に進まない。
 本来、政権交代民主党に期待されているのは、そのことだったはずである。
 菅直人はたしかにこころもとないが、しかし、浜岡原発の停止からの方向は、上のような意味で正しい。
 その意味で、小沢一郎鳩山由紀夫がとった行動は、政党としての自殺だ。わたしが、この二人を処罰しろといっているのはそういうことでである。
 ただ、菅直人は、はやくお遍路さんに出かけたいらしい。戦うべき時に戦いから逃げ出すくらいなら、どうして政治家になったのかといいたいけれど、ひとの信心を邪魔すると罰が当たるそうだから、邪魔はしない。
 菅直人自身か、それとも、そのあとに続く人か知らないけれど、とにかく、今が重大な岐路であるということを歴史から学んで、自覚してほしいと思う。