東京オペラシティのアートギャラリーで、ホンマタカシの写真展。
Tokyo and My Daughter の少女は、ホンマタカシの娘さんではないそうだ。
偽装されたとはとても思えない、仮想の家族写真は、家族写真が身にまとっている幻想としての家族と、不思議な共振を響かせ合っているようでスリリングだ。
Mは、世界各地で撮影されたマクドナルド。
バイクでツーリングしていて、夕食を食いはぐれそうになったとき、国道沿いにみつける、どれも同じかたちのあの店舗とロゴマークの、イメージの力強さには、確かに打たれるものがある。
それはたぶん、アンディ・ウオーホルのマリリン・モンローであり、キャンベルのスープだ。
しかし、アンディ・ウォーホルの時代よりも、いまはもっとイメージが増殖する力が強いのではないか。
マクドナルドを食うとき、私たちはマクドナルドのイメージを食っていると言えないだろうか。
マクドナルドを食うことで、私たちはこの消費社会の一員であることに安心している。たぶんその安心感が、味よりももっと重要なのだと思う。
上の写真は、ロシアのマクドナルド。
西側に近づいてきたと感じた。