無限の網 草間彌生自伝

無限の網――草間彌生自伝

無限の網――草間彌生自伝

  • 作者:草間 彌生
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2003/03/31
  • メディア: 単行本

 ワタリウム美術館で手に入れた草間彌生の自伝『無限の網』を読み終えた。
 草間彌生は優れた芸術家だと、私は思ってきたけれど、それでも過小評価にすぎないことに気がついた。この人はすごい。
 本文にも引用されている、浅田彰の文章がネットにあった。

 なんというエネルギーだろう。東京都現代美術館で開かれた草間彌生の回顧展を見て、私はあらためて圧倒される思いだった。
(略)

 死に至る反復強迫を逆手にとって芸術へと転化し、それによって自己治癒を図る。しかし、その過程は一度かぎりの勝利をもって終わるはずもなく、草間彌生はたえず振り出しに戻って苦しい戦いを繰り返さなければならなかった。とくに、73年に日本に帰って、75年に入院する(さらに77年に再入院して現在に至る)、その前後の時期は、彼女にとって大きな危機だったのではないか。「ねぐらに帰る魂」(75年)や「君は死して今」(同)といった小さなコラージュは、その弱々しくもナイーヴな表現でむしろ観る者の胸を衝き、作者がもう生きる力を失ったのではないかという予感すら抱かせる。それだけに、その直後に起こる圧倒的な爆発は、観る者を驚嘆させずにおかない。
(略)

そう、ぎりぎりまで死に接近した彼女は、この芸術によってはじめて生き延びることができたのだ。そして、彼女はなんと見事に生き延びてみせたことだろう! それはもはや芸術による自己治癒といったレヴェルをはるかに超えたものだ。
(略)

繰り返そう、この回顧展は草間彌生という芸術家――病者ではない、紛れもない大芸術家の、輝かしい勝利の記念碑なのである。
(略)

実際、草間彌生ほど「センチメンタルな人生」から遠い存在はない。センチメントは、それを感じる自己を前提とする。ところが、草間彌生の場合、自己は、そこで病いと死の闘争が展開される非人称的な場と化しているのだ。そこに「人生」はない。ただ、死とのぎりぎりの闘争において見出された生だけがある。その凄絶にして絢爛たる闘争の記録は、胸を衝く切実さをもちながら、しかも、それをはるかに超えた強度によって、作者の病歴をまったく知らない者をも圧倒するだろう。その作品のひとつひとつは、ウェットな感傷からかぎりなく遠いところで傲然と屹立し、ただ作品それ自体として観る者の感覚を震撼するだろう。だからこそ、それは芸術と呼ばれるにふさわしいのだ。草間彌生は、その芸術によって死の誘惑を超え、潔い孤独のうちに生きる。満身創痍でしかもひとり歩み続けるその後ろ姿に、私は心からの敬意を捧げる。

 この文章は、1999年の大回顧展によせて書かれたものだが、草間彌生のこの‘勝利’は、それから10年以上の歳月を経て、さらに切実に私たちの胸に迫る。
 1957年、まだ外貨持ち出しが規制されている敗戦国日本から、それまでに描きためた絵と芸術への思いだけを胸に渡米し、極貧の生活に耐えながら絵を描き続け、やがて画廊での個展で大成功を手にする。ここまでのサクセスストーリーならたぶん日本でも通用する美談だったはずである。この本に則して言えば第二部まで。
 それに続く第三部の‘ボディ・ペインティング・イベント’が日本ではスキャンダルになった。
 もちろん、アメリカでも、FBIに監視されていたと言うし、本人も

私のハプニングは、なるほど、その都度、10から15ぐらいのアメリカの法律を犯している。

と、書いている。
 この時期の活動が、時代の寵児ともてはやされる一方で、アカデミズムの中での、芸術家草間彌生の評価を動揺させたのかも知れない。草間彌生の関心は、おそらくそのどちらにもなかっただろうけれど。
 それでも、私たちがこの本の中で見るものは、やはり、日本とアメリカの(すくなくとも東京とニューヨークの)成熟度の差なのである。
 日本で、ニューヨークと同じパフォーマンスを仕掛けた、草間たちに応対した警察官たちの態度には、それが、多かれ少なかれ、私たちが日本で経験する彼らの態度そのものであるために、日本の社会がいかに、個人の尊厳や自尊心を軽んじているかについて、今さらながら、まざまざと思い知らされる。
 優れた芸術だから、社会の化けの皮をはがすのだろう。結局、私たちの社会は、根底に、つまり、法律以前のレベルで、個人の尊厳についての敬意がない。それで、あらためて思い返すのは歌川国芳のことだ。国芳だって、当時の法や役人に楯突いたわけだったが、当時の役人が今ほど野暮だったかということなのである。その意味で、国芳の絵は、江戸の社会の成熟度を、やはり、反映している。
 交流のあった人たちの回想録も興味が尽きない。
 とくに、こないだ、ジョセフ・コーネルの伝記を読み終えたばかりなので、彼との不思議(といえば、二人とも負けず劣らず不思議だが)な交流は、ポエティックにさえ感じられる。実は、この本を衝動買いしたのも、ジョゼフ・コーネルと抱き合う口絵写真があったからでもある。彼の写真そのものがすでにめずらしいはずだ。
 あの伝記作者は、ジョゼフ・コーネルにとっての草間彌生の存在を定めかねているようだったが、ふたりの境遇はむしろ似通っているように思う。母親の抑圧。決定論に傾くつもりはないが、ただ、その点でお互いがすんなりと理解し合えたろうことは想像しやすい。
 1989年、ニューヨークの国際現代美術センター(CICA)のオープニング記念展として開催された「草間彌生回顧展」は、草間彌生の再評価を決定することになった。このとき、CICAのスタッフが、草間彌生が保管しておいたメモや手紙に目を留め、資料として展示することにした。その膨大な量に整理が煩雑をきわめ、なんと、予定していたオープン期日を遅らせることになった。その資料の中に、多い日には1日に17通もあった、ジョゼフ・コーネルからのラブレターも含まれていた。多くのジャーナリズムが「アメリカ戦後美術の貴重な資料が新たに発見された」と色めき立ったそうだ。