ジャック&ベティで「ダンシング・チャップリン」。2日続けてのご来館で、気のせいか、支配人もすこし怪訝な顔をしていた。
ことし、バレエを扱う映画は、「ブラック・スワン」に続いて2つ目。
「ブラック・スワン」は6月のあたまに観たけど、何か書こうかすこしためらって、何も書かなかった。
ただ、それからすこし経って、フィギュアスケートの安藤美姫が、あのヒロインを自分だと思ったと語っているのをテレビで観た。そういう風にいわれてはじめて、あのヒロインが、自分を越えていこうとするあがきや孤独を感じられるように思った。でも、安藤美姫のそのことばにしても‘そこを越えてきた’という意味であるはずだ。
「ダンシング・チャップリン」は、世界一流のバレリーナとコレオグラファーのドキュメンタリー。ルイージ・ボニーノも草刈民代も明るいし、一方で、必要な判断をくだすときには妥協しない。センチメンタルな要素ははいりこまない。もっとも、ローラン・プティの目に一度ゴミがはいったようだった。
「バレリーナに許されている時間はとても短い。あたまはどんどん成長していくのに、からだはどんどん衰えていく。だから、1日にやれることはすべてその日にやらなければならない。」
というルイージ・ボニーノのことばがとても印象的だった。6才や8才のころからそういう鍛錬を所与のこととして受け入れ、積み上げてきた肉体だけが舞台にたてる。
「ダンシング・チャップリン」が、映画とバレエのかねあいで、話がややこしいのは、チャップリンの映画をベースに作られたバレエを、ふたたび映画として記録する作業だと思う。
映画人・周防正行と振り付け師・ローラン・プティの双方にとってチャップリンの存在は大きい。そのために、演出をめぐってすこし緊張が生じたり、といったことが、この映画のドラマなのである。