菅直人すべてをかたる

 週刊朝日がおいてあるほうのコンビニに行ったら、表紙は菅直人のドアップで‘3.11以降のすべてを語る’という見出し。
 どうなんだろう?そういうことって、せめて辞任するまで待てないものだろうか?
 菅直人という人は、つくづく能力のない人だった。それでも何とかここまで持ったのは、こないだ城繁幸が書いていたように、国民の対立軸と政治の対立軸が乖離してしまっていて、既得権益による支配を解消していかなければならないという国民の危機意識を代弁できる政治の受け皿がない。そのため、能力がないとわかっていても、そういう層は菅直人を支持するしかなかったのだろう。
 前に書いたが、再生エネルギー促進法案の成立に向けて、200人を越える政治家が結集したことがあった。それを一つにまとめられれば、大きな推進力になりえた。しかし、菅直人にはそれすらできない。具体的にいえば、例の‘個人的な見解’の脱原発依存演説が、‘ぶちこわし’だったといえるだろう。
 実は、あの演説は、その直前に、大前研一のレクチャーを受けていたそうだが、大前研一によると

菅首相はこの時の内容を非常によく記憶していると思います。
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原子力はいずれ公営化して運営せざるを得ない、また福島第一原子力発電所の事故を受け、日本では新しい原子炉を作ることはできないだろうから、いずれ今存在する原子炉が終わったときに「脱原発」の道を歩むことになる、など全て19日の時点で私が指摘していることです。
 菅首相の問題は、こうしたことを全て記憶しているにも関わらず全体の整合性を保てていないことです。
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 モノには順序というものがあります。今この段階でそれを言うべきかどうか、その判断は非常に重要です。

 そして、最近のメルマガでは

菅総理の言うところでは、事故調の報告から1年〜2年ということですから、端的に言えば「今から3年間は原発無し」ということです。
 これは、もはやテロリストの所業だと私は思います。

と、こういう論評になっている。
 私が思い出すのは、せっかく戦没者に合掌するのに、軍手をはめていた、硫黄島でのあの姿だ。
 軍手をしたまま合掌する日本人はまずいないと思う。それと同じように、原発に反対賛成を問わず、上で大前研一が述べているようなことを理解していない日本人もほとんどいないと思う。そういった現実を踏まえた上での賛否なのに、菅直人のレベルはそこに達していない。文字通りレベル以下なのだ。
 まともな対立軸を回復するまで、政治の漂流が続くと思う。