日本みたいになっちゃう

knockeye2011-08-15

 野田佳彦が、民主党の次期総裁候補の最右翼として急浮上したが、「大連立」を争点に掲げたことで、急浮上した以上の速さで失墜した。日本の政治家のみなさんには申し訳ないけれど、こう不手際を高速連射されては、素人の片手間なブログは、とてもじゃないけど、批判が追いつかない。
 なにひとつ政策もかかげず、政局を争点にあげるようなひとに、首相になってもらっては困る。
 菅直人から野田佳彦へという政権移行の背景に、財務省の姿が見える。黒子にしては露骨すぎる。
 再生エネルギー促進法案を退陣の置き土産にする一方で、東電救済法案をすんなり通してしまうことにも、結局、財務省を頼りにするしかない、菅直人の政治的な立ち位置の脆弱さが如実に顕れているだろう。原子力損害賠償支援機構法は、東電救済である以上に、銀行救済なわけだから。
 しかし、どれほど過大に評価しようとも、こうした理念の欠如が官僚政治の限界である以上、わたしたちが官僚政治を越えていかなければならないというテーマは、この20年のあいだ、一ミリも揺らいでいない。
 以前に紹介した、フランツ・カフカの「掟」の主人公のように、この国は、この20年間、同じテーマの周りをぐるぐると回り続けている。
 8月4日の加藤祐子のコラムが面白かった。
http://diamond.jp/articles/-/13422
 全文読んでもらえればいいのだけれど、

 たとえば上述した『ニューヨーク・タイムズ』記事も、債務上限をめぐるアメリカ政界のいがみあいと分断、機能不全について、「ワシントンは日本なみの政治的こう着状態に近づきつつある」と世界に思われたと書いています。

原文にあたってみたけど、‘Washington is approaching Japan-like levels of political gridlock. ’
というところがそうなのかしらむ。
 また

 反面教師・日本では、バブル経済が弾けて以来、日本のリーダーたちは「優柔不断に決断を先送りし、ポーズばかりとってきた」が、今の欧米の政治家も似たようなものだと。

「日本と同様、(欧米の)政治家たちは、成長の引き金として不可欠な労働市場と製品市場の構造改革を実現せずにいる」と『エコノミスト』は批判します。そして、「アメリカの債務論争は欧州の債務問題以上に、カブキ的だ」と。

 イギリスの『エコノミスト』誌には、
‘Turning Japanese’
と題して、以下のようなイラストが掲載されておるそうです。

‘The world has seen this before. Two decades ago, Japan’s economic bubble popped; since then its leaders have procrastinated and postured.’

エコノミスト』はさらに、「日本ではコンセンサスしか求めない弱いリーダーが相次いだ。そしてオバマ氏もメルケル氏もかなり有能だが、世論を率いるというよりは世論に従う方が得意だ」と書き、「日本の政治家たちは方向転換するチャンスが何度もあった。決断を先送りすればするほど、針路変更が難しくなった。欧米の政治家たちは、日本の前例を留意すべきだ」と結びます。

 「日本みたいになるな!」が、世界のスローガンになっている。‘Japan as NO.1’といわれた80年代から、わずか30年でこうなるわけ。
 ロシアの地下鉄についてふれたときにも、たしか同じようなことを書いた思う。

モスクワの地下鉄の話をしたと思う。2002年、バイクでロシア横断を果たした私は、話の種に内装の豪華さで有名なモスクワ名物の地下鉄に乗った。でも、その車両は、私には、70年代の阪急電車を思い出させるものだった。

そのころまで、アメリカと世界を二分していたソ連は、崩壊してすでにない。政治が判断を誤って、歩みを止めてしまった国の惨めさに思いを馳せざるえなかった。なにしろ、わたしはそのロシア横断の過程で、ドアのないトイレで大便をするという経験もした後だった。それがつい何年か前までは世界を二分する大国の有様だ。

もしそれがお望みなら、日本もすぐにそうなることができるだろう。もともとロシアほどでかくもないのだし。

 ソビエト崩壊前後のロシアをどう思っていたか、思い出せる人は思い出してみるといい。世界はいま、日本をああいう目で見ている。