8月23日、日本原子力研究開発機構の幹部が、福井県庁を訪れ、敦賀市にある高速増殖炉もんじゅの点検結果を報告、その後、記者団に10月ごろの復旧を目指す意向を明らかにした。
日本原子力研究開発機構は、また、その翌日、8月24日、敦賀市内で外部有識者による検討委員会の第4回会合を開き、野口茂雄・敦賀本部長代理が冒頭で「来週にも復旧作業に着手したい」と述べ、会合後、委員会は、復旧作業の着手について了承した。
<もんじゅ 復旧作業の着手了承 原子力機構 福井 - MSN産経ニュース >
もんじゅに関しては、ほんの2週間ほど前に、何という名前か忘れたけれど、この国の総理大臣が、「廃炉も含め見直しを検討する」と国会で述べたはずだ。
<もんじゅ廃炉も検討 首相、燃料サイクル見直しに言及 :日本経済新聞 >
その総理大臣は、もうすぐ辞めるらしいのだけれど、でも、まだ辞めていないのだ。
この官僚のやりたい放題はあまりに目に余る。
週刊現代の、堺屋太一と古賀茂明の対談のタイトルどおり、これはまさに、「この国の宿痾」という言葉がぴったりだ。
前に紹介したが、日本原子力研究開発機構は、原子力安全・保安院の元次長が理事に天下っているのに加え、AERAの調査によると、2009年度だけでも、経産省から1768億6000万円の公金が流入している、ガチガチの経産省の天下り団体である。
それを紹介したときの繰り返しになるが、そもそも、核燃料サイクルは事実上経済的に破綻しており、もんじゅも、1995年のナトリウム漏れ事故で15年間、運転を停止している。
<「核燃料サイクルは破綻している」:日経ビジネスオンライン >
少なくとも、今この時期に、19兆円、あるいは43兆円という巨額の税金を投入する価値がある事業なのかどうか、福島第一原発の事故が、いまだ終息していない現状で、経産省の天下り団体の外部委員会などが、わずか1日の議論で、その再開を決めてしまっていいとは、私にはとても思えない。
国民の幅広い議論を待って、予断なく今後の方針を決めるべきだとは、それを発言した人の好き嫌いは度外視して、検討に値する意見だと思う。
経産大臣は、首相の「脱原発」発言を「鴻毛より軽い」と言ったそうだが、使用例として正しいかどうかわからない、そんな聞き慣れない漢語を引っ張り出して喜んでる場合ではないと思う。
いずれにせよ今は、国会答弁で泣きべそかくような人が、首相の大役がこなせるような、生やさしい状況だとは思えないのだ。
ただ、この国の官僚が、総理大臣の言葉を屁とも思っていないことは、上のことからも明らかで、そのことは、いくら何でも問題だと思う。
へたすれば、43兆円をどぶに捨てる(ならまだしも役人のふところに消える)ことになるかもしれないという事業の再開を、なんで天下り団体の一存にゆだねなきゃならないんだっていうこと。