鉢呂から枝野へ

 鉢呂吉雄経産相の、辞任につながった発言を、日経の記事から抜き出すと
「残念ながら、周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死のまちという形でした。福島の再生なくして日本の再生はない。福島の汚染を経産省の一つの原点と捉え、そこから出発すべきだと感じた。事故現場の作業員は予想以上に前向きで活力を持って取り組んでいる。」
となる。
 福島県民の心を逆撫でしたとまで言えるのだろうか。
 山崎元は、以下の記事で
メディアに刺された鉢呂前経産相。後任の枝野氏は適任か?|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン メディアに刺された鉢呂前経産相。後任の枝野氏は適任か?|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン

・・・鉢呂氏が経産相に就任後、「原発は将来ゼロになる」と原発の縮小を急ぐ姿勢を明確にしていたことを考え、原発を推進ないしは維持することに利益のある人々の経済的利害を考えると、「鉢呂(氏)を早く降ろせ」という意志の働きと影響があった「可能性」は否定できない。

 ここで、後任の経産大臣として誰を任命するかによって、こうした意図が働いていたかどうかについて、「ある程度」推測が深められるかも知れない、というわけで後任人事には大いに注目していた。

と書いている。
 後任に決まった枝野幸男は、その日の夜の記者会見で、定期検査で停止中の原発について「安全性を確認しながら周辺住民に理解をいただく努力もしたうえで稼働すべき原発は再稼働する」と表明した。
 表明したとあるが、実のところ当たりさわりのない内容にすぎず、鉢呂吉雄の「原発は将来ゼロになる」という発言と、さほど違いがあるのだろうか。あるとすれば、新聞の見出しに‘再稼働’の文字が入るか‘ゼロ’がくるかの違いにすぎないように思う。たぶん、いまの新聞記者は、多くの読者が‘見出ししか読まない’ことを前提に記事を書いているのだろう。

・・・この国のメディアはその本来の使命を果たすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあおり、些細な問題をあげつらってヒステリックなバッシング報道を展開する──。

以前にも紹介したニューズウイークの記事の一部だ。
 菅直人のときとおなじく、わたしはこの鉢呂吉雄の辞任を惜しんでいるわけではない。ただ、政治家の発言よりも、それを伝えるマスコミの劣化の方が、さらに問題ではないかと感じている。
 別の視点から見ると、鉢呂吉雄から枝野幸男へという入れ替えは、親・小沢から反・小沢へというシフトでもある。党内のバランスに気を配った組閣だったはずなのだけれど、野田佳彦という人が、意外に‘狸’なのか、それとも、急なことでそこまで気が回らなかっただけなのか。