森美術館に「メタボリズムの未来都市展」を観に行った。
「メタボリズム」は、1960年、東京で開催されれた「世界デザイン会議」で『METABOLISM/1960 都市への提案』として、日本の建築家やデザイナーたちによって世界に宣言された提言だった。
「メタボリズム」という「新陳代謝」の英訳を掲げて、彼らが目指したことは、増殖し、縮少し、膨張し、収縮する都市の変転を、あらかじめ包容して、しかも整合性を保ちうる可塑的な都市のデザインといったものであったように思った。
CGで再現された海上都市の構想などを見ると、ドバイの高級リゾートをさらに巨大化したもののようにも見えるし、ミクロネシアかどこかの水上住居が未来化したようにも見える。水に浮かぶ出雲大社のようにも見える。
つまり、都市の肥大化をどのようにして自然や伝統と調和させるかという課題が根底にあったものと見える。
そして、メタボリズムの巨大なインスタレーションとなったのが、1970年の大阪万博だった。
大阪万博の会場が縮尺模型で展示されているが、それにはやはり、目を瞠らせる何かがある。改めて、あの大阪万博はすごかったと思う。今見ても未来的なのだ。私たちはどこかで間違った道に迷い込んでしまっただけで、実際の未来はあっちだったんじゃないかと思えるほどだ。
しかし、メタボリストの屋根を突き破ってそびえ立った太陽の塔だけが、今は自然公園となった万博記念公園に残っている。そのことが何を語りかけるのか、耳を澄ましてみようとしたが、何も聞こえそうにない。太陽の塔は岡本太郎の畢生の名作だ。
森美術館のある六本木ヒルズのシティビューから、東京の町を見渡してみる。たしかに果てしない膨張と収縮の痕跡は見える。けれど、それを律する規範や、共有する思想といったものは何もないように見えた。
ここに太陽の塔があればどうなのだろう。東京タワーをも凌駕する巨大な太陽の塔が、ここにあればどうだろう。太陽の塔が東京の町を焼き尽くす幻に一瞬苦笑いした。
昨日の記事の一部を訂正した。「ゲットラウド」の「ト」と「ラ」の間に「・」を入れた。どっちでもいいと思ったのだけれど、もしかしたら「・」を入れたら自動リンクするかなぁと思って。しませんでした。