江戸東京博物館でヴェネチア展。
世界遺産 「ヴェネツィア展」 魅惑の芸術-千年の都 江戸東京博物館 2011年9月23日(金)〜12月11日(日)
両国では大相撲の場所中らしく、色とりどりの幟が秋晴れの空にはためいていた。じっさい少し汗ばむほどだった。
展覧会にでかけるとき、特定の作品や作家を目当てに訪ねることが多いが、このヴェネチア展に関しては、ヴェネチアそのものが目当て。
ヴェネチアには土地がない。都市のすべてが、潟(ラグーン)深くに打ち込まれた杭の上に、人工的に造成されている。
こうした独特の営みがどのようにして始まったのかは、実のところ、よくわかっていないようだ。
まるで海に浮かぶ鈴鹿サーキットのように、美しくS字を描くグランカナルに眼を遊ばせながら、連想は、やはりつい先日に見たメタボリストたちの夢想、東京湾に浮かぶ海上都市に赴かざるえなかった。
実際、彼らの脳裏にも、ヴェネチアがあったかもしれない。
大国のはざまにあってよく独立を保ち、交易し、繁栄し、先端的な技術と、ユニークな文化を育んだ。それは日本という国が目指してもいい方向だし、また、歴史上、この国が豊かだったときは、そのような姿をしていたと言えなくもない。
ヴェネチアとメタボリストに共通しているのは、いわば‘ランド・フリー’ともいおうか、土地に依存しない価値観だ。
サブプライムローンも、日本のバブル崩壊も、また、公共事業がとりもつ政官財の癒着も、‘土地神話’、‘土地本位制’といった価値観を共有していた。そして、今そのデッドエンドを目の当たりにしている私たちには、ヴェネチアの繁栄は希望になりうる。
土地を経済原理の外側に追いやる方向も、それは社会主義の古色蒼然とした発想ではなく、いま現在、わたしたちの経済がおかれている状況の自然な帰結として、起こりうるのではないかと思えている。土地がない方が豊かに暮らせるという可能性だ。
ヴェネチアの象徴は聖マルコのライオン。
有翼の獅子が前肢で踏まえている書物には
”PAX TIBI MARCE EVANGELISTA MEUS”
「我が福音書記者マルコよ、汝に平安を」
とラテン語で記されている。
ヴェネチアは共和制であったので、特定の個人が国の象徴となることはなかった。政治的なトップは総督だが、その権限は制限され、選出にあたっても厳密なルールが適用された。総督はあくまでも国に仕えるものとして存在した。そのため、国を表す象徴としては、聖マルコのライオンを従える擬人像が用いられた。国が誰のものでもないからこそ、国の象徴が用いられる意味がある。このあたりも日本が学びうることかもしれない。
展示品のなかでは、ヴェネチアングラスの典雅さに心惹かれた。現在のガラス製法における技法のほとんどは、ヴェネチアのムラーノで開発されたそうだ。<カ・レッツォーニコ様式のシャンデリア>にも、それとは別の意味で、度肝を抜かれたが。
絵では、ヴィットーレ・カルパッチョの<二人の貴婦人>と、ピエトロ・ロンギの<香水売り>がよかった。
これは世評の一致するところなのか、展覧会の図録に面白い趣向があって、同じ内容の図録に2種類の表紙が選べるようになっている。青い図録がロンギ、赤い図録がカルパッチョ(この画家の名は、イタリア料理‘カルパッチョ’の由来になっている。肉やマグロの赤い色が、カルパッチョの絵を連想させるということだそうだ。この<二人の貴婦人>には、またいわく因縁がある。1944年、ローマの古物商で仕事にあぶれた建築家が偶然購入した一枚の絵<ラグーンでの狩猟>が<二人の貴婦人>の切断された上部だとわかったのである。だけど、かわいそうにこの建築家、せっかく手に入れた絵を没収されちゃったそうだ。現在の法律ではちょっと考えられないですよね。)。
私が買ったのは‘青盤’のほう。仮面とマントで身をやつした男女の、刹那の仕草が、ヴェネチアの頽廃と爛熟を、去りがたい旅の残像のように、胸にとどめる。
この日はちょっとガラスづいてしまったのか、次に訪ねた松岡美術館にも、エジプトで出土した小さなガラスの水差しがあった。土の中で時を経て獲た、表面の‘銀化’が美しい。まるでオパールのよう。
家に帰ってから検索してみると、こうした‘銀化’したガラスは、日本の海岸にも見つかることがあるらしく、ビーチコーミングしている連中がかくし持っているらしい。朝早く浜辺で何をしているかと思えば、こんなお宝を探していたのである。私もやってみたくなった。
松岡美術館とは‘ご町内’の東京都庭園美術館も、エルミタージュ美術館所蔵のガラス展なのだった。「皇帝の愛したガラス」と題している。
いまヴェネチア展を見てきたばかりなのに、「やっぱりガラスはヴェネチアだよなぁ」とか思っている自分がいる。ガレ?、ドーム兄弟?、ラリック?、昨日今日の山出しでしょ?、みたいな。
古いガラスに心惹かれたのは、この日の秋晴れのせいだったかもしれない。ただ仰ぎみるにはあまりにも青く澄み渡っていたこの青空を、せめては古いガラスを透かし、ノスタルジーの彼方に閉じこめたかったのかも知れなかった。
東京都庭園美術館は、リニューアルのために十月いっぱいでいったん閉館だそうで、最後の3日は夜間公開するそうだ。そのころには目黒自然教育園の紅葉もいいかもしれない。