伊東深水、川合玉堂

knockeye2011-10-29

 昨晩、深夜に突然大前研一原発事故調査結果を発表したので、朝がおそくなってしまった。
 動画中、
「‘当時’首相補佐官の細野さんに・・・」
といった発言があったが、その当時、首相だった菅直人が、いわゆる‘脱原発’演説で大こけしたとき、大前研一はブログで、「ものには順序がある」と苦言を呈していたのだった。
 それを読んで、‘どうして菅直人大前研一のレクチャーを聞いているのかな?’と、ちょっと引っかからないではなかったが、こういうプロジェクトが進行しつつあったわけだ。
 となるとなおさら、あの菅直人の演説が悔やまれてならない。菅直人は、大前研一に演説原稿の下書きを頼んでもよかった。あの演説の失敗までは、菅直人は内心、解散するつもりでいたと思う。
 いずれにせよ、こうした報告が、原発事故発生以来、対応にあたってきた細野豪志に、公に手渡された意味は小さくはない。
 今日はよい天気だったので、ジェベル200で平塚市美術館の伊東深水を見たあと、鎌倉の海岸沿いに走って、葉山の県立美術館で川合玉堂を見る。

 伊東深水は、好きな画家だけれど、展覧会ではなかなかお目にかかれない。
 しかし、今、一鑑賞者として伊東深水の絵を見れば、これは、明治の荒波を乗り越えた、歌川派の浮世絵にまぎれもない。
 喜多川歌麿葛飾北斎歌川広重東洲斎写楽歌川国芳も、浮世絵は版画だった。美術館で展示されたり、床の間に掛けられたりではなく、大量に刷られて、人が手にして楽しむものだった。
 明治以降、そうした需要が印刷にとって代わられたあと、浮世絵は大画面化し、高級化せざるえなかった(ユニクロに対してリーバイスがとっている手法とでもいおうか)。深水の絵を見ていると、そういった事情がすんなりとわかる。喜多川歌麿が明治時代に生きていたら、やはり大画面の作品を残したのではないか。
 大正6年に<笠森お仙>を描いた伊東深水は、そうした浮世絵師であることに十分自覚的だったと思う。
 技巧は、ごく若いころから圧倒的に上手い。横山大観が彼の絵を見て「今これだけ墨を使える人はいない」と言ったそうで、図録には「こんなに絵の具の付きの良いのは若冲(!)と深水くらいだ」と京都の表具師が言ったというエピソードも書かれている。
 でも、それもありうると思えるほどうまい。鏑木清方は、貧しかった深水の月謝を免除し、小学校中退と知ると夜学に通わせた。活字工としてつとめながらなので、相当にハードだったに違いないが。弟子入りするとき持参した絵を見て、清方は、あの子は今に上手になるよ」と周囲にもらしていたそうだ。
 そもそも画家を志したのが、速水御舟の絵を見て感動したためだし、修業時代、岸田劉生を訪ねて悩みを相談したりしている。私に言わせれば、逸話に登場する画家の名前がよい。ほかにも、ともに「新版画運動」に取り組んだ画家が川瀬巴水と山村耕花、どちらも私は好きな画家だ。
 <指>とか<宵>などの美人画はもちろん、<清方先生像>、<荻江寿友像>などの肖像画もよい。<椿>、<さくら>、<雪もちの梅>など花鳥画の屏風も良い。こうした画題の多彩さもまた浮世絵師を感じさせてたのもしい。
 有名な画家なのに、案外まとめてみる機会がないようなので、足を運んでみられると良いと思う。

 川合玉堂は、橋本雅邦の弟子。橋本雅邦といえば、狩野芳崖とならんで、江戸時代最後の狩野派の絵師だ。

 その背景を考えると、横山大観みたいに‘日の丸を背負って’みたいな気負いがありそうに思えるけれど、そういう感じは一切ない。
 この人の絵に一貫しているのは、ずっと詩情で、しかも、その傾向は晩年にますます深まっていく。
 今回の展覧会では、「山水画」「風景画」「借景画」と時代を逐っていくが、上手い分け方だと思った。
 ごく若いころは、たしかにまだ狩野派山水画だが、やがてそれが風景画になるのは、狩野派の伝統にはない画題を描き始めるからだろう。それは、実際の風景を写生しているからだと思う。
 「風景画」のパートを見ていて、私は国木田独歩の「武蔵野」を思い出していた。明治になって、日本人は日本の風景を再発見したと言えると思う。社会が急激に変化していくなかで、いままで目に留めていなかった風景が見え始めた。それは狩野派の絵師たちにとっては、風景ですらなかったものだった。
 江戸時代までの絵師たちが、和歌や俳句の感性で風景を見ていたとしたら、川合玉堂の詩情は、近代詩のものだと思った。川合玉堂の描いた風景はまぎれもなく日本の風景だが、そこに和歌や俳句、ましてや漢詩などを書き込むことはできそうにない。そもそも川合玉堂の絵には、そうした書き込みをすること自体が似つかわしくない気がする。
 近代詩の詩情を絵にした風景画家は意外に少ないかもしれない。もしかしたら川合玉堂ひとりなのかもしれない。玉堂の目は、たぶん、そのころ新体詩といわれていた詩の抒情を、詩人たちと共有していたのだろうと思う。
 私は、つい最近まで、明治以降の日本画はつまらないと思い込んできたけれど、それは、アカデミズム推薦の日本画がつまらないだけで、それに背を向けた画家たちには優れた画家がいっぱいいる。不明を恥じるほど博識を自負してきたわけではないので、ただただ得した気分だ。

 バイクで行ったからには、帰りもバイクなのは当然だが、バイクをおいて電車で帰ろうかなと一瞬思うほど、この帰り道は、いつも渋滞する。もし、時間と疲労を考慮すれば、電車で行くに限る。ただ、良い天気だったので。