山種コレクション、畠山即翁

knockeye2011-11-13

 土曜もそうだけれど、この日曜日も季節外れの暖かさで、街ゆく人の中には半袖の人も見かけた。
 山種美術館で「ザ ベスト オブ 山種コレクション」の前期展。
 速水御舟の<名樹散椿>を、私はずっと‘めいじゅさんちん’と読んでいた。
 椿は花を散らすとき、萼からぽとりと落ちるのが普通だが、まるで薔薇のように花びらを散らせる「散り椿」という椿が、京都の地蔵院にかつてあった。御舟の描いたその古木はすでに枯死してしまったそうだが、今でも樹齢100年の2代目がその寺の庭にあるそうだ。
 村上華岳の<裸婦図>の実物を見るのは初めてかもしれない。古い仏画を思わせる色彩の上を、歌うように走る線を見ていて、なんとなくギュスターヴ・モローを連想した。
 畠山美術館で秋期展、「茶人 畠山即翁の美の世界」。この美術館は、たいてい自然光で展示しているので、この日のような天気の日は、障子越しの日差しに器がよく映えた。
 ‘毘沙門堂’という銘の柿の蔕茶碗があったが、昼下がりの秋の日に照らされたこの器の美しさは、絵はがきやポスターではまったく分からないだろう。
 千利休が‘早船’と命名した、楽長次郎作の赤楽茶碗や、備前火襷水指も、このような日には美しさを増すようだった。
 なかでも、豪快な姿で居座る、<伊賀花入 銘 からたち> は、詳しい来歴は不明であるものの、おそくも、明治時代には加賀の素封家が所有していた。加賀の人たちはよほど困窮しないかぎり、茶道具の名品を手放さない気風があったそうだ。
 この‘からたち’がついに即翁の手に渡るとなったときにも、加賀の地を出してよいものかとも言われたそうだが、即翁が加賀の出身ということで了承された。
 ‘からたち’がいよいよ加賀を出るという日には、別れを惜しむ人たちが金沢の駅を埋めた。その話を伝え聞いた即翁は、一同紋付き袴の礼装で、上野にこの花入を出迎えたそうだ。
 畠山美術館の庭には、姿のいい楓の古木があるが、紅葉はまだ気配さえなかった。
 ↓写真のこれは結界石。

 私も最近知ったばかりだけれど、これが置いてある先には客人は遠慮しなくてはならない。
 知らずに踏み越えてしまったら、「おやおや」と思われるか、やんわりとたしなめられるだろう。この石は、主人と客がたしなみを共有することを求めている。
 「立入禁止」とか「入るな!」とかマジックで書いたベニヤ板を寅ロープにつるしても、立ち入る人は立ち入るだろう。
 いくら厳格な法や規制を張り巡らせたところで、あかの他人と他人が、かりそめの関係を気持ちよく過ごすためには、そうしたたしなみを共有するしかない。
 世界中の人たちとつながることが可能になった現代でも、結局、人を不快にするしかできない連中の所業を日々目の当たりにしていると、荒縄で十字に縛られたこの小さな石が笑っているように見える。