意味がなく思惑だけがあるマスコミの言葉

knockeye2011-12-16

 野田佳彦首相がこの日、福島第一原発について「冷温停止状態」を宣言した。
 しかし、くわしく記事を読むと「冷温停止状態」は、「冷温停止」とは違うのだそうだ。
 困難な状況に直面したとき、面と向かって解決しようとせず、レトリックで誤魔化そうとするので、上のような「?」な言葉が生まれる。
 「冷温停止状態」が「冷温停止」と違うのだとすれば、「冷温停止状態」を宣言することは、「冷温停止」ではないと宣言しているのと同じことだ。
 つまり、今までと何も変わらない。
 なぜこんな宣言をするのかと言えば、政治家も官僚も東京電力の管理職も、クリスマスと正月をゆっくり過ごしたいということだろう。 
 日本の政治家やマスコミが使う言葉に、まともに定義できない言葉が増えてきたように思う。
 たとえば、菅直人の「脱原発‘依存’」。これは、「脱原発」と断言するには、認識も戦略も曖昧なままなので、とりあえず‘依存’をひっつけて、逃げているのだ。だから、国民に訴える力がない。
 たとえば「政治とカネ」。これなどは、もはや新しい熟語を造ることすらできずに、「と」という助詞をひっつけたまま放り出している。ひとつの単語ではないので、定義そのものを拒否できる。どうにでもとれるし、何にでも使える。ジャーナリズムの言葉に対する責任を完全に放擲している。 
 言葉の‘意味’はからっぽのまま、小沢一郎を排除したいという‘思惑’だけで報道が過熱する。
 言葉に‘思惑’だけがあり‘意味’がない。
 ‘意味’のない言葉を‘思惑’で連呼するだけだから、それを受け取る側も‘思惑’を読むしかない。‘思惑’は翻訳しようがないので、海外のメディアは無視するしかない。マスコミが「マスゴミ」と呼ばれるのは、むしろ当然だと思う。