新宿武蔵野館で「サラの鍵」。
何を悼むべきなのかを私たちは見失いがちになる。
この映画の登場人物の中では、エイダン・クインが演じたウィリアム(サラの息子)に、私は歳が近い。けして若者とは言えないはずだが、第二次大戦当時、そんな私の父母の世代でさえ、戦争はいうまでもなく、どんな社会的な責任も負える年齢ではなかった。私の母の幼なじみの腕には原爆のケロイドが残っている。
第二次大戦中、父母と引き離されて収容所に入れられたサラは、私の父母の世代だ。戦争に放り込まれた子どもたち。私とウィリアムは、そのまた子どもたちの世代だということになる。
だから、私たちは何を悼むべきなのか見失いがちになる。何を憤るべきなのかも。
なぜなら、私たち自身はどんな罪も犯しておらず、どんな被害も被っていない。
しかし、ときどき、他でもない、罪も被害も知らないことを怖ろしいなと思う。
私は浄土真宗の門徒なので、こんなとき昔聞いた仏教の説話を思い出す。
あるとき、お釈迦様のお弟子がこう尋ねた。
「罪と知って犯す罪と、知らずに犯す罪ではどちらが罪深いでしょう?」
お釈迦様はこうお答えになった。
「火箸が熱いと知って握るのと、知らずに握るのとでは、どちらがひどいやけどを負うか?」
おそらく、知ることはそれ自体で救いで、知らぬことは、それ自体で罪なのだろう。私たちは罪や悪についてほとんど何も知らない。
奈良女子大教授の渡辺和行がパンフレットに寄せている文章によると、
真っ先に指摘すべきは、フランスのユダヤ人迫害はナチによって強いられた受動的な政策ではなかったこと
なかでも悪名高いのが、この映画で描かれている1942年7月16日のヴェル・ディヴ事件だそうだ。
フランスからユダヤ人を乗せた移送列車は、1942年3月27日から1944年8月17日まで74回走り続け、フランス在住ユダヤ人の4分の1にあたる76,000人が移送された。
(略)
移送された76,000人の内、生還者は2,500人でしかない。それでも、フランス在住の4分の3のユダヤ人がフランス人の支援もあって生き延びたことを強調する必要があるだろう。生き延びたユダヤ人にとって、フランスはやはりアジール(避難所)の国であった。
政府や役人に「右を向け」といわれたら、喜んで右を向き、まっすぐ立っている人間を‘不正義’だとわめきたてる種類の人間が、多数派か否かという問題かもしれない。
それでも、1995年の7月16日、シラク大統領はヴェル・ディヴ跡地で演説し、ホロコーストにおけるフランス国家の責任を認め、フランス人に「時効のない負債」があることを語った。
1993年から、7月16日は、「ユダヤ人迫害の日」となっているそうだ。
私たちの世代は戦争の痛みをわからなくなっている。若い人たちにとってはいっそうそうだろう。しかし、私たちにも戦争をいたましく思うことはできるし、それは常に必要だろうと思う。
人が人に犯した罪について、「時効のない負債」として、これからいつでも、私たちは知るべきだし、思いを馳せるべきだと思う。
‘火箸が熱い’と知ることは、やはり必要だ。