官畜

knockeye2012-02-07

 日経のアンケートで、「消費税増税やむなし」という声が過半数を超えていて驚いた。
 岡田克也もすでに認めているとおり、消費税を10%にするくらいでは、財政再建はおろか、社会保障費もまかなえない。
 つまり、消費税増税ではダメなわけ。
 「そうはいうけどやったら何とかなるんじゃないの(笑)?」とか絶対ないわけ。
 消費税増税じゃダメという複数の試算があるのに、どういうわけで増税にばく進してるの?
 戦えばかならず敗けるというシミュレーションがあったのに戦争に突入していった、1930年代の日本人を目のあたりにしているようで薄気味悪い。
 ‘官畜’という言葉が頭をよぎった。
 よく聞くのは、「欧州では消費税率が20パーセント近い」とかいうやつ。
 で?だから?
 そういうのって、
「となりの○○ちゃんは10時まで勉強してるのよ」
とか、
「ご近所の皆様には買っていただいたんですけど」
とかと同じ。論理の名に値しない。
 日経の記事には、

要するに日本は「まあまあの社会保障を提供しているにもかかわらず、そのための費用をちゃんと集めていない」状態

とあったが、
‘まあまあの社会保障’の問題は、金額でなくその中身で、日本では、たとえばグリーンピアだって社会保障費なのである。
‘そのための費用をちゃんと集めていない’って、日本人は税金じゃなく保険料を給料から天引きされてる。消えた年金はどうなった?
 政治が断行すべきなのは、行政改革の方であるのは明らかだ。ところがそっちは万博公園の掃除小屋をつぶすだけなのである。
 なぜそんなことになるのかといえば、去年末の「カンブリア宮殿」で、ゲストの古賀茂明が指摘していたのは、日本の官僚システムでは、法律一本ごとに課長が一人付いている。文字通り、日本の官僚は法律に寄生しているのだ。
 このような現状で、行政改革への抵抗がいかに熾烈か、薄ら寒い思いがした。
 だが、それよりも情けないのは、官僚でもないのに、こうした官僚の精神性を共有する心理だ。
 成功した社会主義だの、ムラ社会だのと、ちょっとした皮肉を込めていわれてきた、こうした日本人の心理だが、ことここに至っては、もはや‘官畜’というしかない。
 映画「マトリックス」のチューブにつながれた人間のように、彼らは、官僚の家畜であることに安寧を感じている。
 橋本治が小泉構造改革を評した言葉に「必要なものまでぶちこわした」というのがあったが、‘構造’を変えるのだから、必要なものまでぶちこわすのは当然である。
 みじめなのは、古い構造を(或いはそこから栄養を補給されているチューブを)‘必要だ’と感じるその感覚の方だと思う。