「ドラゴンタトゥーの女」

knockeye2012-02-12

 タトゥーやピアッシングについては、柄谷行人村上龍の対談で読んで、今でも印象に残っているところがある。

柄谷 去年(1995)の秋に「ニューヨークポスト」というタブロイド新聞を読んでいたら、tatoo/tabooというだじゃれの見出しのついた記事があって、アメリカで今流行している入れ墨のことを特集していた。
 親はみんな嫌がっているわけ。子どもが何をやっても許すけど、入れ墨だけは困る。痕が残るからです。
 ところが、その中で、一人の女の子がこういうことを言っていた。親は簡単に離婚してしまうし、友だちはすぐさよならで、残るものが何もない。しかし、入れ墨だけは残るからやるんだと言うんですよ。
 僕はなるほどな、と思った。これは攻撃衝動というか、死の欲動だと思うんですけど、僕が最近考えているのは、フロイトの言う死の欲動というのは、カントで言うと、永遠になろうというか不死に向かう衝動だと思うんだね。
 だから「入れ墨だけは残るから」と言う、その女の子は非常に正確なことを言っていると思った。
村上 石原慎太郎はやっぱりいいなと思ったのはね、あの人はピアスをずっと攻撃していたんですよ、意味なく。ピアスをすると不妊になるとかね、わけのわからないことを言って(笑)。
 それで僕が「サンデー毎日」で対談した時に、「石原さん、ピアスしてる子はね、タトゥーも同じですけど、親を否定したいんだ」と言ったんですよ。親を否定したいがために、彼らは血縁とかある種の時間の流れを切りたいから、永遠に残るもので身体を加工したいんだと。
 そうしたら、あーっと感心して諺を言ったんですよ。僕は忘れましたけど。「ああ、それを否定したいわけか。わかった、それはわかった。だったらわかる」とか言ってね。
柄谷 「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」でしょ。
村上 それです。それです。
柄谷 この言葉には結構深い意味があるんだなと最近思ったんです。これはどういうことか昔はわかんなかったんですよ。
村上 逆にピアスとかタトゥーとかそういう人が出ないとわからないですね。
柄谷 そう。孔子死の欲動に気づいていたのではないかと思う、ピアスやタトゥーの根源にあるものに。それをやめることが孝のはじまりだと言うわけですからね。

 まるでこの映画のことを言っているようだ。
 こうして、社会の矛盾の結節点に、必然のような顔をして現れる主人公が、親子、兄弟、男女、宗教etc.の、わたしたちが見て見ぬふりをしている欺瞞を、平気な顔で暴いていく。これはチャップリン以来の映画の王道でもある。観客が心を奪われるのはむしろ当然だろうと思う。
 これがオリジナルなら手放しで絶賛されるのだろうけれど、あるレビューにはこうあった。

スウェーデン版とハリウッド版、両方を観た批評家は口を揃えて言う。「スウェーデン版リスベットのノオミ・ラパスは最高だった。そして、マーラのリスベットはもっといい」と。