
- 作者: 岡倉覚三,村岡博
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1961/06/05
- メディア: 文庫
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というのも、このまえ風邪を引いたのはいつだったかなと考えて、たしか、沢尻エリカの別れ話が話題になっていた頃だったなと思いついて(当時、沢尻エリカと私は、セキが抜けないで悩んでいた)、検索してみたのだった。
ようするに毎年風邪を引いている。
むかし、独身だった頃の松本人志が、「体温計の存在意義が解らん」といっていたのはよくわかる。体温計っていうのは、家族が一喜一憂するための装置で、ひとりぐらしの人間があれを小脇に挟んでも、お医者さんごっこにすらならない。
先週末は、岡倉天心の『茶の本』を読んですごした。
岩波文庫の、古い言い方をすれば、☆か★ひとつの薄さで、病床に肘が疲れない。
若い人は知らないかもしれないが、岩波文庫は、はてなに先んずること数十年、☆のシステムを導入していた。
私が10代の頃は、☆ひとつが百円、★ひとつが七十円だったと思う。何の意味があったのかは分からないけれど、☆だけで決めて読んだ本もある。『方丈記』とか、『みずうみ』とか。オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』もそうだったかもしれない。
そのせいかどうか、たぶんそのせいではないけれど、『茶の本』は多くの人に読まれた名著だったにちがいない。
シャルロット・ペリアンが来日前に日本について知っていたのはこの本だけだったと書いたが、不明なことに、この本が、もともと岡倉天心(この本の著者名としては岡倉覚三になっている)が英語で書いたものだったとは知らなかった。
読む前から知っている一文が出て来た。
おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道 − わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術 − について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが藝術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。
岡倉天心は、目の前で音を立てて崩れていく巨大な伽藍を一人で支えようとしている。
結局それは崩れ去って廃墟となったが、廃墟でさえ充分に美しい。明治の人たちが、江戸の絵師たちより、西洋の画家の方が優れていると、なぜ思い込んだのか、今の私たちにとっては不思議なほどだ。
正宗白鳥は、「自分が臨終の時、アーメンというか、南無阿弥陀仏というか、楽しみだ」と語っていた。それは、たぶん正宗白鳥にとっては冗談なのであろう。私の世代は、それが冗談であることがうすうすわかる。しかし、もっと若い世代は、何を言っているのか分からないのではないか。
それが時代が遡って、新井白石までになると、おそらく、キリスト教にたいして、‘憐愍の情’とでも言うべき態度をとっていると思う。
今の私たちはどうか?。私はすくなくとも、新井白石にはるかに近いが、しかし、新井白石から正宗白鳥の間にいったい何があったのかは、興味深いと思う。
西洋が東洋の文化国を発見したとき、その当の文化国は自分を見失った。不思議。