綿井健陽のインタビュー記事

knockeye2012-03-06

 今朝の神奈川新聞に綿井健陽というジャーナリストのインタビュー記事があり、ネットでも探してみたのだけれど、見つからなかったので、メモ代わりに残しておくことにした。

 東日本大震災から2日後の昨年3月13日、チェルノブイリ原発劣化ウラン弾による被害の取材経験があるフリーランスのジャーナリストたちと一緒に、東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町に入った。毎時1,000マイクロシーボルト(1ミリシーボルト)まで測定できる放射線測定器の針が振り切れた。
 大量の放射性物質が漏れていることは間違いなく、その日のうちにインターネット上で発表した。反響は大きかった。
 マスメディアが原発周辺で独自に放射線量を測定し、報道していたら、避難住民の行動はかなり違っていたのではないか。
 イラク戦争ではマスメディアの記者の撤収後、フリーランスが首都バグダッドに残り、取材した映像はテレビで放送されたが、原発事故では当初そうならなかった。
 東京に戻り、撮影した映像をテレビ局に持ち込んだが、避難し指示が出た区域に「どこの許可を得て入ったのか」と何度も問われ、発表できなかった。ドイツや韓国など海外メディアには出せた。
 その後、一時帰宅した住民が撮影した映像などがネット上で流れ始めると、日本的な横並びで対応が変わり「避難指示区域の映像を持っているか」というテレビ局などの問い合わせが急増した。
 避難対象となった区域にも住民や消防団員、ペットの保護活動をするNGOメンバーは入っていたし、自衛隊は捜索活動をしていた。それなのにマスメディアは許可された一部の同行取材を除き立ち入ろうとしない。これでは報道の自由や知る権利を語ることはできないだろう。
 報道される原発敷地内の写真や映像は、ほぼすべて東電や自衛隊の提供か衛星写真だった。安全圏にいて、監視対象である政府や東電の提供写真ばかりをテレビや紙面に出すのは、かつての大本営発表であり、報道にとっての自殺行為だ。
 5月下旬、敷地内と原発から20キロ圏内での定期的な取材機会を求める共同アピールを、呼び掛け人となって発表した。その後も記者会見で細野豪志原発担当相にたびたび敷地内の公開を迫ったが、実現したのは半年後の11月で、フリーランスは参加できず蚊帳の外だった。
 今後、敷地内の公開はもちろん、作業拠点のJヴィレッジにプレスセンターを設け、最前線にいる作業員や原発所長の記者会見を定期的に行うべきだ。

 まだしばらくテレビのある生活にもどりそうもないのだけれど、最近、新聞のラテ欄をみて唖然とした。‘3.11’のオンパレード。キラーコンテンツだとでも思っているのではないか。しかし、当時の報道のあり方を検証してみようといった試みは見かけなかった。