鹿島茂、ディアギレフ、ルフェーブル

knockeye2012-03-07

 少し古い号の週刊文春になるが、鹿島茂の「私の読書日記」が面白かった。
 この持ち回りの書評欄には、たまに、全文保存版だなと思える回があるが、今回がまさにそれだった。

 ×月×日
 四月八日から始まる「鹿島茂コレクション2 バルビエ × ラブルール」の解説原稿を書くために、もう一度ディアギレフについて勉強しなおす必要が出てきた。

 冒頭、さりげないふりをしつつ、あからさまな展覧会の広告。この展覧会の第一回目はグランヴィルで、私は、このブログによると、去年の3月6日に行っている。穏やかな春の日で、ついでに牧野記念公園にいって、盛りになったユキワリイチゲを見た。
 その記事を書いたのが3月10日で、いうまでもなく、その翌日に東日本大震災が起こった。
 その意味で、この前の鹿島茂コレクションから今度の鹿島茂コレクションへと、一年が移ろいすぎたといえるわけだ。
 阪神淡路大震災のあと、私自身が一番ショックを受けたと、今から振り返って思っているのは、あれだけの大災害があったにもかかわらず何も変わらないということだった。
 一瞬で6000人を超える人が死んだのに何も変わらない?そんなバカな、と、それはたぶん当時の私のどこか底の方に、穴を開けた思いだったろうが、今にして思えば、それは自分自身に対する焦りと、外界の事件を短絡的に結びつけた安易な行き方だったろうと思う。
 この一年もまた何も変わっていないように見える一年だが、変化はおそらく誰にも気づかれないほど徐かに忍び込んでいるだろう。人は変化に気づくほど鋭敏ではありえない。

バルビエとラブルールのセット展という発想そのものが、十九世紀が二十世紀に決定的に変わった直接的原因が何かを知りたいという思いから生まれたものだが、結論から言ったらそれはロシア・バレエしかないということになる。

 このへん、理解も知識もまったく追いつかないけど、なんだか面白そう。

そんな時に渡りに船で出たのが、シェング・スヘイエン『ディアギレフ 芸術に捧げた生涯』

ディアギレフ―― 芸術に捧げた生涯

ディアギレフ―― 芸術に捧げた生涯

 1909年5月19日のパリ・シャトレ座におけるロシア・バレエの公演が、一世紀に一度と言われるほどの衝撃を当時の人に与えたのは何故かについて、この本の著者は、

「ディアギレフの公演を比類ないものにしていたのは、装置と衣装を視覚的劇場芸術に合わせ、統合する、その手法だった。(中略)ケスラーは、まったく新しいものを発見して衝撃を受けたのではなく、すでに存在していたものの可能性を思い知らされたのである」

 この言葉は、出井伸之がスティーヴ・ジョブズについて言っていたこととどこか似ている。もしかしたら、わたしたちはまだ、誕生して四半世紀ほどにもなろうかの、このインターネットという存在の可能性に気づかされていないのかもしれない。
 ここまで読んでくれた人は、「こいつ、このまま全文タッチタイプするつもりか?」と思っているかもしれないがそうではない。もうだいぶ飛ばしているし、このあとも一気に飛ばして、最後の『パリ・コミューン』のところへ。全文読みたい方、週刊文春の3月8日号を買いましょう。

・・・今度、H・ルフェーブル『パリ・コミューン』が岩波文庫で再刊されたのを機に読み返してみて、思わぬ発見をした。意外におもしろいのである。というのも、ルフェーブルは歴史家というよりも社会学者であるので、パリ・コミューンを一つの集団的社会現象として捉えようとする姿勢があるからだ。

パリ・コミューン(下) (岩波文庫)

パリ・コミューン(下) (岩波文庫)

パリ・コミューン(上) (岩波文庫)

パリ・コミューン(上) (岩波文庫)

パリ・コミューンとは何か。それはまず巨大で雄大な祭りであった。フランス人民と人民一般の精髄であり象徴であるパリの人民が、自分自身に捧げ、かつ世界に示した一つの祭りであった」
 ではなぜ、パリの民衆は祭りを必要としているのか?ルフェーブルはこう考える。
「貧乏人が何ものも所有せず、また(個人的に)所有するという何らの希望も、またおそらく何らの必要ももたないとすれば、彼らに欠けているものは空間よりも時間である。彼らは狭い家に住み、あわただしく食事をとる。だからこそ、突如として時間と空間を開放する祭りが、彼らにとってあれほどの重要性をもつのではないだろうか。組織化され商業化された≪余暇(ロワジール)≫が未だ存在しない時期において、祭りは世間への労働生活の華麗な開放である」
 その通り!ゆえに、テレビとネットという≪余暇(ロワジール)≫がすでに存在する日本やフランスのような先進国にあっては、「祭りとしての革命」は、一九六八年のフランス五月革命と日本の大学紛争を最後に跡を絶ったということなのだ。
 マルクス主義の残滓を洗い落とせばルフェーブルはもう一度使えるのではないか? そういえば、ルフェーブルの主著は『日常生活批判』であったはずだ。革命という祝祭なしに終わりなき日常をどう生きるかという二十一世紀の問題をルフェーブルは先取りしていたのかもしれない。

 2ちゃんねるが自分たちの集団的愚行を‘祭り’と称するのは、それがこうした‘祭り’のパロディーであることに、内心気がついているからだろうか。考えてみると興味深い。
 鹿島茂のいう「祭りとしての革命」、あるいは「革命という祭り」が、‘まつりごと’を動かすこともあるかもしれない。
 しかし、おそらく‘祭り’がもたらす変化は表層にとどまるのではないか。なぜなら祭りを生み出す日常生活は、そうやすやすとは変わってくれない。変化は人目につかぬ徐かさでしか進行しないように思う。