温家宝

knockeye2012-03-09

 これはもう去年のことになるのだけれど、温家宝文革について語った。
 中国の要人が、公式な場で、文化大革命について批判することは極めて異例だそうで、ニューズウィークが大きく取り上げた。

 この温家宝という人について印象的だったのは、ある記者会見で、ブッシュのイラクのときを真似てか、ひとりの記者が靴を投げつけたことがあった。
 ブッシュの場合、すばやくダッキングして、下卑た笑いを浮かべただけだったが、温家宝はその靴を拾って、投げた記者に手渡そうとした。東洋人の感性かもしれないが、それから、私はこの人物に一目置く感じになった。
 ニューズウィークの記事に語られている、文化大革命の経験からすれば、靴を投げられる程度のことは、温家宝にとって何ほどのことでもなかったろう。記事によると、話が文化大革命のくだりに差し掛かると会場は静まり返ったという。
 この記事は、習近平もまた、バイデン米副大統領が訪中したさいに、文化大革命で家族が苦しんだことを語ったと伝えている。しかし、この時期になぜ中国の要人が、それまでのタブーを侵し、相次いで文化大革命を批判するのか。
 この疑問について、最近、なるほどと思う記事があった。

 2月6日に重慶の副市長である王立軍(ややこしいけどこれは人名)が、成都のアメリカ領事館に逃げ込むという事件が起こった。どうも、亡命を求めたらしい。ただ、そのおよそ1週間後に習近平の訪米を控えているとあって、そのような亡命がうけいれるはずのないことは、王立軍自身さえ承知していたはずだった。
 記事によると、アメリカ領事館を出た王立軍は「中央に投降しても、薄熙来には投降しない」と言ったという。この言葉がなぜ漏れたのかは不明だが、こういう情報がネットに流れる、そのことの意味自体は明白だと思う。
 王立軍の上司である薄熙来は、‘唱紅歌(革命歌を歌おう)’という運動を推し進めている、記事によると、「文革時代には、紅衛兵の先頭に立って暴力の限りを尽くした過去がある」人物。今の地位にいられるのは江沢民のコネだそうだ。
 飽くまでこの記事の情報だが、生々しいのは以下のようなエピソードだ。

 江沢民傘下の呉儀(ごぎ)(女性)が2008年、69歳になり年齢制限にひっかかることから国務院副総理の座を退くことになった。この時、薄熙来江沢民に泣きついて、自分を呉儀の後釜にしてくれと頼んだという。

 しかし呉儀は断固としてそれを跳ねのけた。薄熙来を拒絶する交換条件として呉儀は「私は次の位は何もいらない。裸退(次の官位なしに引退)するので、その代わりに薄熙来を私の後釜にしてはならない」と言い残して去っていった。

 この「裸退」という言葉はネットで大ヒットした。その後、日経ビジネスオンラインの連載コラム『中国“A女”の悲劇』で筆者が書いた「裸婚」など、一連の「裸」言葉の流行を導いている。それくらい、この「裸退」は社会に大きなインパクトを与えたために、薄熙来の「おねだり」が中国庶民の知るところとなってしまった。

 断定は出来ないものの、中国中枢での駆け引きはどうあろうとも、二度と文化大革命に後戻りしないという点では一致していると思う。しかし、裏返せばそれは、中国人民がまた文化大革命のような狂乱に奔騰するのではないかという危惧を、常に抱えているということでもある。
 たとえば、前原誠司が名を上げた、中国漁船の体当たりなども、その背景に何か得体の知れない熱狂が見える気がする。そういったことが、中国をいかに害しうるか、文化大革命を憶えているいまの中国執行部は、おそらく誰よりもよく知っているだろう。
 蛇足だが、振り返って、わが国の名古屋市長の発言などを顧みると、政治家の発言としていかにも軽い。背負っているものの大きさが違うということをまざまざと感じさせる。