- 作者: 吉田健一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1991/06/03
- メディア: 文庫
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倉橋由美子が‘明治以降は、吉田健一ひとりがいれば、あとは全部なくてもよい’みたいなことを書いているのを読んだ時は、そこまで言うかと思った。
そのころは「金沢」を読んでいるくらいで、これは名作だと思ったけれど、その他にいくつか読んだ短編は、そうでもないかなぁくらいだったので。
しかし、この「絵空ごと」を読んで、なるほど倉橋由美子が言ってたのもホントなのかもしれないと思った。
ちょっと他では味わったことがない、という意味では、たしかに異種格闘技めいたおもしろさ。
読み終わって思ったのは、日本の小説って、どこか‘小説を読んでます’っていう顔をして読まなければならないようなところがあるが、吉田健一のこの作品の場合、きっとわざとだと思うのだけれど、‘小説なの?どうなの?’という感じでひっぱって、読者に最後まで‘小説読んでマス顔’をさせない。
巻末の作家案内によると、昭和42年の吉田健一の文章のなかに
「小説といふものに対してこつちと今日の文学界、或はジャーナリズムの考へが食ひ違つてゐるのは、これからも利用して行く積りである」
という一節があるそうだ。
つまり、この感じは確信的なのである。
日本の私小説家と読者の間にある、無自覚な相互依存というか、善くも悪くもイタコの口寄せとそれを聴く人のような、それ自体どこか芝居じみた関係の、吉田健一は完全に外側にいて、外側にいるということを、よく自覚していたのだろうと思う。
私の、吉田健一初体験は、パトリシア・ハイスミスの『変身の恐怖』の翻訳だった。今でもパトリシア・ハイスミスの中で一番好きなのは、『リプリー』や『見知らぬ乗客』より、やっぱり『変身の恐怖』。