冷害の備えはあるのか?

 今日は、初台の東京オペラシティ アートギャラリーに、難波田史男の展覧会か、東京都現代美術館に、靉嘔と田中敦子と福島秀子と、ついでにクラウドスケープを観にいくつもりにしていた。難波田史男は来週が最終で、最終日は混むおそれがあるから避けたかったが、クラウドスケープが今週で終わりで、その意味では選択の余地がなさそうだけれど、クラウドスケープの方は、雨が予想されている時に行ってもどうなんだろうという気持もあった。
 5時前にふと目がさめて、読みかけの本を読んで、また寝たのだけれど、けっこうぐっすり寝てしまって、気がつくと、もう10時前だった。しかも、よくないことには、5時頃よりかえって寒くなっているようだった。冷たい雨が音もなく降るなか、清澄白河からでも、木場からでも、すこし歩く感じになる東京都現代美術館はどうかという気がしてきた。それなら、初台かということになるのだけれど、京王新線のあの感じがやなんだ。何で笹塚で乗り換えなきゃならないの?とか、訳の分からないことを考え始めている頃には、ようするに、寒くて雨が降っててどこにも行く気がなくなったというだけの話。
 今年のこの寒さは異常だ。昨日、自民党海老名駅前で募金活動をしていたと書いたが、民主党民主党で、岡田克也が、増税のために大連立を画策したとか。増税の根拠がどんどんあやふやになっていく末には、ついには数の力で押し切ろうという節操のなさにあきれる。
 それよりも、この異常な寒さに誰も何も感じないのだろうか。今、政治家が対処しなければならないのは、この異常な寒さであるはずだ。
 去年の津波で、日本の穀倉地帯である東北の沃野が壊滅状態に陥っている。その上、この寒さで、深刻な冷害が起こったらどうなるだろうか?歴史的にも、災害と飢饉は同時に起こりがちである。今から備えておくべきだと思うが、役人のお手許の心配に奔走するだけとは、日本の政治家らしいといえばそれまでだが、しかし、人間の肌には冷点というものがあるはずだが、寒さも感じないのか、あの連中は。