薄熙来と文化大革命の再現

knockeye2012-03-20

 3月9日の記事に書いたことの結末だが、薄熙来は失脚したとみてよさそうだ。
 薄熙来は王立軍と組んで、「打黒」と称するマフィア掃討で成果を上げたことになっているが、こちらの記事によると、
「わずか80日間で3万2771件の刑事案件を摘発し、9527人を逮捕投獄したという」
東京地検特捜部もびっくりな検挙数で、「重慶市司法局長だった文強」という人に至っては、拘束(逮捕ですらない)からわずか11ヶ月で死刑に処せられている。
 しかも、この間、薄熙来と王立軍が没収した金額は、2700億元に上るという。
 つまり、重慶では、文化大革命が再現されつつあったといえそうだ。
 それで、いやおうなく思い当たるのは、これは3月7日の記事に書いたルフェーブルのこと。
 鹿島茂のいうように
「テレビとネットという≪余暇(ロワジール)≫がすでに存在する日本やフランスのような先進国にあっては、「祭りとしての革命」は、一九六八年のフランス五月革命と日本の大学紛争を最後に跡を絶った」
だろうが、ルフェーブルの指摘どおり
「組織化され商業化された≪余暇(ロワジール)≫が未だ存在しない時期において」
は、
「世間への労働生活の華麗な開放」
として、
「祭りとしての革命」
が起こりうるということなのだ。
 遠藤誉は、中国でこのような毛沢東回帰がくすぶる裏側には、経済格差に対する不満があると指摘している。
 しかし、このブログでも何度か取り上げてきたと思うが、‘格差’という妄想は、‘同一性’という幻想の裏返しに過ぎない。この世の森羅万象、すべてのものは違っていて当然なのに、そこに貨幣経済の概念、つまり、カネというものさしを持ってくるとき、すべてのものが貨幣価値という同一の価値観の上に整列して見える。そのときはじめて‘格差’という妄想が出現する。
 したがって、格差に対する不満を感じるということは、彼ら自身が、貨幣経済の価値観に疎外されているということにすぎない。すべての人が貧しく、圧政に怯えていた時代を懐かしむ、などというあきらかな倒錯が現実に起こるのは、こうした疎外のためではないだろうか。
 先ほどのルフェーブルの『パリ・コミューン』の訳文で、「世間」という言葉が使われているのが気にかかっている。「祭りとしての革命」が、個人が単位の‘社会’ではなく、個人が埋没した‘世間’でしか起こらないということを、ルフェーブルが意識していたということなのだろうか。
 個人が埋没した集団としての‘世間’と、個人が単位である‘社会’の差について考えていると、私はオリンパスの事件を思い出してしまう。
 マイケル・ウッドフォードと、オリンパスの他の取締役を比較すると、社会と世間の差がわかりやすい。社会においては、個人の意見を述べることが、成員として認められる、つまり、大人になることなのに対して、世間においては、個人の意見を殺して、集団に同調することが大人になることなのである。
 社会の総意は言葉で決まるが、世間の総意は空気で決まる。このちがいは、『東京の昔』で吉田健一が指摘していたように、言葉が未成熟で、不正確であることがきっと最も大きいのだろうと思う。