靉嘔、難波田史男

knockeye2012-03-25

 東京都現代美術館に、靉嘔を観にいった。
 ごく初期のころのフェルナン・レジェみたいなところを過ぎ、フィンガーボックス(「put your finger in・・・」とか画家が書いているのに、「展示品にはお手をふれないで下さい」と美術館の表示がある、それ自体がなかなかスリリングな仕掛けだ)を過ぎ、虹の展示室に入ると、やはり目がさめるような開放感がある
 「いつ虹を始めたのかと問われることがあるが、今ではそれをはっきりと思い出すことができる・・・・」と始まる、すこし長めの文章が掲示されていた。図録がまだ「できあがってないんです」みたいなことで、ここで紹介できないのが残念だが、1958年の渡米後、‘線やフォルムは過去の巨匠たちの焼き直しにしかならない’、‘残されているのは色だけだが、ピカソのように青の時代、桃色の時代、白の時代と、一つずつの色を追求していては、何度生まれ変わっても完成に至らない。’‘用いるべきはすべての色でなければならない。しかも、光のスペクトラムどおりの順番でなければならない’と、赤から紫へ、キャンバスを埋めていったそうだ。
 ‘これでもう絵を描かなくてもいい’と思ったそうで、そうした‘絵を描くことからの開放感’が今でもあれらの虹の絵には溢れているようだ。
 言い換えると、自我へ、オリジナリティーへと集中していったエネルギーが、その極みでビッグバンを起こしている。収縮が膨張へと転じる瞬間のあざやかさ。現に、コンセプトだけを画家が指示して、実際の作業は他の人がやっている虹の絵もある。この虹の絵は、今後、誰が真似して描いても、靉嘔だといわれるだろうし、事実、それは靉嘔なのである。反転した圧倒的なオリジナリティー。

 しかし、オリジナリティーを考える上で、そのあと、オペラシティでみた難波田史男は対照的に、靉嘔が否定した線の画家なのである。
 その線の生き生きとした感じは、天才という言葉に抵抗があるならば、生来の才能、天性の線。
 次のような文章が残っている。
「私はどうして絵を描くのだろうか・・・そう、私は、強く感じている。世界が、私から逃げ出していくという意識。・・・この意識が私に絵を描かせる。・・・画家が白いキャンバスに向かう時、常に感じるものは、生と死である。・・・空白のキャンバスを前にした時、画家はすべてを忘れ、虚無を見つめる。・・・キャンバスを前にした時、画家は人生に別れを告げなくてはならない。人生に別れを告げたと直観した時、すべての日常的なことが美と感じられる。・・・絵とは、生を、もういちどシンボルとしてとりもどしたものでなければならない。」
 この二人の画家の、オリジナリティーとの格闘を比較してみると面白い。
 靉嘔は、オリジナリティーを否定し去って、圧倒的に靉嘔であり、難波田史男は、どこまでも難波田史男であることで、かぎりなく無名性に近づいている。