「僕達急行 A列車で行こう」、花まつり

knockeye2012-04-08

映画『僕達急行(ぼくきゅう) -A列車で行こう-』公式サイト 映画『僕達急行(ぼくきゅう) -A列車で行こう-』公式サイト 映画『僕達急行(ぼくきゅう) -A列車で行こう-』公式サイト このエントリーをはてなブックマークに追加
 園子温が神楽坂幸恵と結婚したからといって祝儀を包む義理はないのと同じで、森田芳光が死んだからといって香典がわりに遺作を観ようともおもわなかったのだけれど、貫地谷しほりが出てるらしいので、おやっ?ということで。
 コメディエンヌ、コメディアンは、やっぱり天性のものじゃないだろうか。次々とめがねを取り換えるシーン、貫地谷しほりが演じると笑えるわけ。あれで、受け手の松山ケンイチにコメディアンの資質があれば、多分、もっと受けたと思う。
 こういう映画にはもっとコメディアンを使ってあげてほしい気もする。いまだと「ピカルの定理」のメンバーとかだけど、売れっ子すぎて、難しいかもしれないし、彼ら自身が映画に乗れるか乗れないかということもある。
 瑛太の役作りは面白かったけどね。最初、ジャマイカンとカツ丼を食べている時、なんでこいつくわねえんだ?と思ってたんだけど。森田芳光監督は、ほとんどアドリブを採用しないそうなので、監督の演出なのかもしれない。
 鉄ちゃん映画らしくなるのは、ピエール瀧登場以降。その出会いそのものは、‘できすぎ’なんだけれど、それを「でも、ありうるんじゃないか」と、ちょっと思わせてくれたら、映画ってそれで正解でしょう。
 それに、そういうできすぎた出会いみたいなことを、どこか期待させるようなものが、鉄道の旅には特に、根底にあるのではないか。
 この映画は多分ヒットしないのだろうけれど、しかし、続編とかしつこく作り続けてもいいんじゃないかと思った。というのは、こんな小気味いいほど草食系の男子が主人公の映画ってなかなかない。
 今の時代って、平均収入で女子が男子を上回ってるのに、いまだに旧時代の男女関係のありかたが、‘イデア’というか、抑圧というか、そういうものになって現実の男女関係にのしかかっているように思う。
 草食系を肯定的に描くっていう試みは面白いと思う。今回、成功したかどうかはよくわからないけど、草食系に鉄ちゃんを化学反応させようとしたあたりは、やっぱ、森田芳光って冴えてるなって思う。
 この映画の鉄ちゃんの部分を茶に代えると「へうげもの」の世界につながっていくと思うし、あちらは大ヒットしているのだし。
 田中優子の本で読んだのだけれど、江戸時代は、絵画に限らず、小説、俳句、ファッション、ありとあらゆる文化が百花繚乱、栄えに栄えた時代だけれど、その揺籃となったものに‘連’という存在があったそうだ。
 ‘連’とは何ものぞというと、じつは特に何でもないのだけれど、今でいうハンドルネームみたいなものをもって、実際の名前や身分を隠して、なんとなく気の合う連中がゆるーく集まっている。それでときにはオフ会をしたり、俳句をひねったり、本を出してみたり、まあ、ようするに退屈しのぎになんか面白いことないか、みたいなことなのだけれど、そこから鈴木春信の錦絵が生まれたりしている。 
 で、何が言いたいかというと、この映画の松山ケンイチ瑛太ピエール瀧の、ありえそうなありえなさそうな人間関係を見ていて、そういう江戸時代の‘連’のありようを思い出したわけ。
 オンとオフ、表と裏を上手に使い分けて、オフの人間関係が上手い具合にオンにつながっていく。オンだけの人間ってやっぱりつまらないと思うんですよね。
 オタクがオフだけのダメ人間だったとすれば(私はそうは思わないけれど)、その進化形として草食系の存在をあえて理想的に捉えれば、オンとオフをうまく使い分けている男子の存在がこれから魅力的になりうると思ったわけ。
 まあ、「釣りバカ日誌」の釣りを鉄道に代えただけとも見えるけれど、ただ、釣りバカ日誌は、飽くまで会社人間だったと思うんです。今という時代には‘会社人間’ってありえないですよね。
 「釣りバカ日誌」の場合は、会社の上下関係が揺るぎないものだった時代があって、その裏側に釣りの師弟関係があるという面白さだったわけだけれど、「僕達急行」は、鉄ちゃんという趣味自体が、高度成長期へのノスタルジーでもあるわけで、そのけっこう強度のある人間関係の上に、今という時代の、つながりの希薄な社会のありようが乗っかっているという面白さがある。
 京急の踏切を見下ろす歩道橋での松山ケンイチ瑛太ピエール瀧の三人の会話がけっこう深かった。京急赤い電車が隠れキャラだったかもな。
 そして、‘鉄ちゃんは女にもてるかどうか’というのも追求しがいのあるテーマだ(この映画をシリーズ化するとしてだけれども)と思う。
 今回の松山ケンイチのふられ方はけっこう切ない。
 韓流ドラマが女子に受けるのが分かった気がした。ようするに、テレビドラマの恋愛みたいのは、今の日本男子相手では成立しないっつうことを、日本女子は重々承知していますっていうことなんだろう。
「君のためなら死ねる」とか、日本人が言ったら100%ウソなんだけれど、韓国人が言ったら(それも韓国人のイケメンが言ったら)1%くらいホントのような気がするわけである。
 最後、外人にいい女をもってかれる草食系日本男子っていうのは笑えたし、たしかにそれだけで映画である。
・・・
 さて、この日は、このところ、毎年恒例になっている龍峰寺の桜を写真に撮りに行ったが、たまたま花まつりのにぎわいと重なった。
 ただ、これも毎年写真におさめていた花海棠の若木は、後ろの竹藪を造成するさい、業者があやまったのか、或いは、このところの激しい嵐のせいか、根もとから折れてしまっていた。ひそかに楽しみにしていたので残念だった。