日曜日の続き。
あのあと、吉祥寺美術館で、「石川梵写真展 THE DAYS AFTER 東日本大震災の記憶」。
「悲惨な光景はアフガニスタンやスーダンなどさまざまな現場で目撃したが、それが自分の祖国で起こることが信じられなかった。いや、正しくいえば、このとき、自分の中で世界と自分を隔てる国境が取り払われたといった方が正しいかもしれない。」
二万人を超える人を一瞬に飲み込んだ津波が、私たちが日本という国で暮らしているということの、また、日本という国の、根源的な意味だということもできるだろう。
津波が来る国に私たちは生きている。
津波で根こそぎにされて、基礎だけになっている町の後を見るとき、そこにあらわになっているのは、自然災害の悲惨さではなく、人為の愚かさだ。
その愚かさの一つは、自然に対して持つべき畏怖の念を忘れたことと、もうひとつは、自分たちの歴史に対する敬意を失って、何度も津波に襲われた過去に学ばなかったこと。
さらには、そうした風土と歴史を踏まえて、自分たちの住む町はどうあるべきかという、本来の意味で建設的な思考を持たず、ただ土建屋政治家のふところを潤すためだけに、雪国でも南国でも、海辺でも山中でも、同じような家を建てた知恵のなさであり、そんな町のありさまを見て何も感じない、公共心のなさである。
個々に公共心がないので、ろくな政治家が育たず、ろくな政治家がいないので、このような災害時に政治が機能しない。
以前、目黒美術館での「文化としての炭鉱」展について書いたとき、‘現代のオフィスビルの表層を一皮めくれば、この炭鉱の世界が姿を現すはずだ’みたいなことを書いたが、津波でながされた家々の土台を見ていると、目に見える事実として、敗戦直後のバラックから何も違っていないという徒労感に襲われる。
震災直後、「絆」だとか、「ひとつになろう」とか、マスコミが盛んに吹聴してまわっていたのは、「一億総懺悔」などといって、本質について、考えたり議論することを避けようとした、太平洋戦争が終結した当時の風潮そのままだと思う。
・・・
このところ、ル・コルビュジエについての本を読んでいた。
『アパートメント 世界の夢の集合住宅』という写真集をぺらぺらめくっていて、マルセイユのユニテ・ダビタシオンに魅せられてしまったからだ。
多くの著名な建築家が建てた集合住宅を集めたこの写真集(ちなみにカメラマンは酒井若菜でおなじみの平地勲)のなかでも、ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオンの存在感は他を圧している。
- 作者: 植田実,平地勲
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2003/01/01
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まだ、エアコンどころか冷蔵庫さえ普及していない時代に、すったもんだもあったものの、とにかくこれを実現したフランスという国はすごいと思う。
ル・コルビュジエの意図に反して、政府が分譲してしまったり、店舗部分が外部からのアクセスが不便で、経営が上手くなかったりとかの細かいことはあるにせよ、先の写真集の中で、実際住んでみたいと思うのは、なによりもこのユニテ・ダビタシオンである。
ピロティで高く持ち上げられた構造を見ていると、これより半世紀を経た今の技術で、このユニテ・ダビタシオンほどの魅力がある復興住宅を、被災地に作ろうという気運さえ見えないのは情けないことに思える。
高台に移転も、がれき処理もいいだろうが、私たちが津波と地震の国に住んでいる以上、地震や津波にびくともしない、しかも、電気不足にこまらないような新しい住まいの提案が、建築家たちから出て来てもよいのではないか。
阪神淡路の時と違い、復旧では済まないのだから、新しい町の提案がぜひともあるべきだし、それが日本全体の復興につながると思う。
福島にユニテ・ダビタシオンが建っているところを私は見てみたい気がする。
ル・コルビュジエ:終わりなき挑戦の日々 (「知の再発見」双書)
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