曾我蕭白展

knockeye2012-05-13

 草間彌生を観た後、千葉市美術館で曾我蕭白を観るという、なかなか濃いめの土曜の続き。
 展示替えがあって、<柳下鬼女図屏風>を見逃したのは残念だったが、そのかわり、<群仙図屏風>に再会した。二十代のころ、京都で初めて観た、私にとっての曾我蕭白は、まさにこの絵。蕭白はこうじゃなくちゃいけません。
 うねり、うずまき、屹立し、突出する。
 に書いたが、今回、山水をまとめて見て、村上隆曾我蕭白ピカソを比較したくなるのも分かる気がした。<虎渓三笑図>なんて、水墨のキュビズムだ。

 <山水図押絵貼屏風>を、もしかしたらわたくし、府中で観たのかもしれないのだけれど(違うものだったかも)、そのときは、
蕭白のテクニックの多彩さを見せ付けてくれる。サービス精神旺盛。画面に変化をつける工夫とみたけれど、見ようによっては、いろいろやりすぎとも見える」
と書いているが、そのときの私の眼は‘ふし穴か?!’と言ってやりたい。問題はテクニックなどではなく、ここでもやはり、うねり、うずまき、盛り上がり、突き出る、ありとあらゆるブツの量感が眼目なのだった。
 そして、村上隆が指摘しているように、画題への挑戦。
 <波濤鷹鶴図屏風>では、鶴が鷹に追われて逃げ惑い、<竹林七賢図襖>は、七賢のうち、山濤、王戎が、他の五人と袂を分かって去っていく雪の日、<牧童群牛図屏風>は、牛を禅の悟りにたとえた十牛図を知っていると笑える。右双は、あきらかに十牛図を思わせるが、左双に目を転じると、子どもたちが牛たちをけしかけて闘牛に打ち興じている。
 <松竹梅図襖>では、太い松の幹が全面の半分を占領し、梅は松の枝ほどの太さしかなく、花の咲いている枝は松の葉より細い。竹は松の根ほどしかない。あんなにひょろひょろの梅の枝も、あんなにぶっとい松の葉も、実際には存在しないと私は思う。その意味では、「写真」を目指した円山応挙とはまったく絵に対する考え方が違う。
 曾我蕭白
「画を望ば我に乞うべし、絵図を求んとならば円山主水よかるべし」
と言ったと伝えられているが、こうやってまとめて作品を観ると、その言っている意味は分かる。おそらく、曾我蕭白も、ただ目に映るイメージを超えて、そのむこうに何かあるはずと思った人なのだろう。
 絵から伝わるそういうメンタリティーは、たしかにドガピカソに似ている。今、こういうことを書いているのは、ずっと円山応挙のことを考えているからだが、円山応挙は、弟子たちに教えるときに、絵の効果をまず考えて、細部にこだわるなといっていたと聞いている。そうした応挙の大画面の構成力はやはり大したもので、襖十二面からなる金剛寺の<波濤図>は、まるで、水が鑑賞者の足許から流れ出て、画面奥の断崖へと流れ落ちていくように感じさせる。
 ダイナミズムという点では、円山応挙も、曾我蕭白や弟子の長澤蘆雪に引けをとらない。ただ、最近観た応挙の絵でもっともうならされた、円光寺の<雨竹風竹図屏風>の左隻<風竹図>を例に挙げれば、美学の違いは明らかだ。<風竹図>といい、風と竹をテーマに絵を描くとき、円山応挙は、吹き荒れる風ではなく、むしろ、音ひとつない竹林の中、ひとそよぎの風に、手前の竹だけが少し揺らいでいる情景を描く。その研ぎ澄まされた感覚は、やはりみごとというしかない。
 曾我蕭白は、語弊をおそれずにあえて言えば、美を志向すらしていない。応挙とは目指していたことがまるで違うと思う。
・・・
 ついでだから、先月行ったのだけれど、このブログに書き漏らした展覧会のことにふれたい。府中市立美術館で開催されていた、「三都画家くらべ」という展覧会を観た。これのお目当てはなんといっても長澤蘆雪の<なめくじ図>。

長澤蘆雪の天才とは、ナメクジとその這った痕を水墨画にする、そういう天才なのだ。そしてこの人の魅力はその軽やかな線だと思う。森羅万象を線に変換してみせる天才。応挙はこの弟子に一目置いていたと思う。
 少し前にうっかり書いてしまったが、このふたりの<楚蓮香図>という美人画がならべて展示されいた。楚蓮香って私も知らないのだけれど、伝説のいい女で、いい匂いがするので、いつもからだのまわりにチョウチョが飛んでいた人なのだそうだが、そのチョウチョの配置が、蘆雪のほうが絶妙だと思った。
 さらっと即興的に描くと蘆雪の天才が目立ってしまう。しかし、どっしりと腰を落ち着けて描くと応挙の筆からはすごいものが絞り出される。これはいつもそういう印象だ。前にも書いたけど、与謝蕪村の句にこういうのがある。
 筆灌ぐ応挙が鉢に氷かな